ボルヘスとエリアーデ
少し前、日本文学は面白いと言った。
それならば外国文学にも目を向けなくては不公平だ。
私はあまり外国文学を読まない。
その少ない読書の中で、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は面白かった。
この作品については、このブログでも連載で紹介したので覚えておられる方もいらしゃっると思う。
この作品は文体はハチャメチャだが、主人公ホールデンの心の動きを描いているので抒情詩系に分類できるだろう。
このほかに心に残る作家が二人いる。
それだボルヘスとエリアーデである。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス。
アルゼンチン生まれの幻想小説家。
一時期ブエノスアイレスの国立図書館長をしていたこともある。
私の本棚には「続審問」という文庫本がある。
これは小説ではなく、短いエッセイのアンソロジーである。
なかでも面白かったのが「ジョン・ウィルキンスの分析言語」という1篇である。
内容は長くなるのでここでは紹介しない。
関心のある方はこの本を読んでいただきたい。
要するにシステム的な国際共通語の提案である。
世界にある諸物を言語によってシステム的に分類して理解しようというのである。
これに付随していろいろな分類法が紹介されるが、中には奇想天外な分類法がある。
こんな分類法を考えた人がいるんだなあと教えられる。
こんなことを教えてくれた本はほかに読んだことがない。
ミルチャ・エリアーデ。
ルーマニア生まれの作家。
というより言語学者としてのほうが名高い。
私の本棚にはエリアーデの本がない。
わざわざ買った記憶もないので、図書館で借りたのだろう。
ずいぶん前のことなので、借りた本の題名も覚えていない。
でも内容は印象に残っている。
たしか戦いのシーンだったと思う。
戦士たちの戦いの雄たけびが耳に残っている。
サリンジャーが抒情詩系だとすればこの二人は叙事詩系だろう。
事実や出来事の描写が中心になっているから。
いま日本では外国文学の影響力が以前より小さくなっている気がする。
私が若いころはシモーヌ・ボーボワールやフランソワーズ・サガンが魅力的だった。
今やフランス文学やフランス哲学(サルトルのような)は見る影もない。
これらの人々はとりわけ若い人たちに人気があった。
いまその人気が凋落しているというのは、日本社会が老齢化したあかしだろうか?
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