山の名前
日本は山国である。
日本列島の林野率は70%を超える。
つまり、日本国内のどこから見ても山が見えないところはない。
学校の校歌にもそこでシンボルとなる山の名が詠みこまれている。
私の高校の校歌にもさほど高くない山が詠みこまれていた。
つまり山は日本人の郷土愛の象徴なのだ。
やまには山という漢字が当てられる。
その字音は「さん」である。
でも漢字伝来以前から「やま」という和語は当然ながらあった。
太古から身近な地形に名がないはずがない。
今の日本語では「山」は「さん」、「やま」と二通りに読まれる。
富士山、妙高山、六甲山…。
浅間山、栗駒山、岩木山…。
富士山などは前の字音に引きずられて「さん」と読むのだろう。
同様に浅間山なども前の訓に引きずられて「やま]と読むのだろう。
山の名前は和語のほうがしっくりくるように感じる。
山の名前には山のほかに岳というのもある。
岳には「がく」という字音があるが、山の名前の場合は「だけ」と訓で読む。
剣岳、穂高岳、甲斐駒ヶ岳…。
比較的高峰が多いようだ。
明治になってスポーツ登山が始まるまでは、日本の山は信仰の対象であり修行の場であった。
山はきびしい環境であればこその精神性があったように思う。
つまり男性的なのだ。
この点、海が世界共通に女性のイメージがあることと対照的である。
むかしは女人禁制の山もあったという。
山であれ岳であれ、要するに地表のでっぱりである。
それを指して太古の日本人は「やま」と呼んだ。
いつ誰がそう呼び始めたかーということは言語の起源の問題になって来るので先日来考えないことにしている。
ただ、これも「宇宙の中を循環する言語」というコンセプトの中で考えることもできる。
循環している言語の地下で不思議な動きが起こっている。
井筒俊彦さんの前言語的エネルギのイメージを思い出してほしい。
「や」という前言語的エネルギーが最適な相棒を求めて四方八方に触手を伸ばしている。
そして遂に「ま」という音節に出会った。
こうして「やま」という語が出来上がった。
「まや」ではなく…。
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