言語の多様性とその起源
「宇宙の中で循環する言語」というアイデアがひらめいたおかげで言語の起源の問題を考えなくてよくなった。
やれやれと思ったのだけれど、実はまだ問題が残っていた。
それは言語の多様性の問題である。
いま世界の口頭言語は6000近くあるという。
世界中の人々がおたがい通じ合わない言語をしゃべっているのだ。
なぜそうなったのだろう?
聖書ではその原因をバベルの塔の事件のせいだとしている。
それはそれとして、本当のところはどうなのだろう?
その昔、異なる言語が同時多発的に誕生したのだろうか?
それとも、人類の東アフリカからの拡散の過程でそれぞれ独自の発達を遂げて今に至っているのだろうか?
口頭言語は人間が担うものだから、後者の考えのほうが納得がいくのだが。
いずれにしても、「宇宙の中で循環する言語」という考え方で片付く問題ではない。
何か別の考え方を導入しないとだめそうだ。
たとえば今わたしは日本語という言語を使ってこのブログを書いているのだけれど、これが理解できるのは日本語話者だけである。
日本語は世界のどの言語とも似ていない。
一時期言語系統論が盛んだったころは、日本語はウラルアルタイ語族に属すると言われていたけれども、最近はあまり聞かれなくなった。
どうして日本語のようなユニークな言語が生まれたのだろう?
縄文時代やもっと前の時代に日本列島人はどんなことばを喋っていたのだろう?
あいにく文字資料がないから何もわからない。
でも想像してみるのは楽しい。
現代日本語話者にはまったくわからないことばだろうけれど、たとえば「やま」のことは何と言っていたのだろう?
日本語の歴史に関する本は沢山あるけれども、ここまでさかのぼる本はない。
根拠となる音声が残っていないのだからどうしようもない。
出土した遺物や遺跡からなにか推測できるだろうか?
日本列島に人が住み始めたのはいつか?
いろいろな説があるようだけれど、大体3万年以上前、というのが正しいらしい。
もちろんユーラシア大陸から海を越えてやって来たのだ。
当然高度な操船技術が必要になる。
こうした組織的な活動のためには効率的なコミュニケーションが不可欠だ。
彼等はどんなことばを使っていたのだろう?
今となってはもうわからない。
こうしたことが今使われているすべての言語に当てはまる。
つくづく言語のはかなさを思わずにはいられない。
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