ことばと意味(その20)
250126 938 ことばと意味(その20)
前回前にもことばと意味の関係についてこのブログで述べたとお話しした。
それは今から12年も前のことになる。
その時は18回にわたって考えてみた。
でも結局このテーマのすそ野をうろうろしただけで終わってしまった。
言語の起源と同じである。
12年前の記事を読み返してみると、きっかけは日本語には多義的な語が多いという指摘からだった。
これは利用できる音節数の少ない日本語のやむを得ない特徴である。
その例として「きく」という動詞をあげた。
漢字表記で語義を見てみると、まず「聞く」がある。
これは人の発話を受信するという意味である。
しかし、「利く」という意味もある。
「口を利く」というのは自分のほうからことばを発信する、という意味になる。
上の「聞く」と正反対の意味である。
それを一つの語「きく」が担っている。
よく似た現象は同じく基礎的な動詞「よむ」にも見られる。
ふつう「読む」は他人の文章を受信することである。
それに対して「詠む」という意味もある。
これは自分の感動を和歌などにしたためて発信することである。
つまり、「よむ」という語も正反対の意味を担っている。
「きく」、「よむ」といった基礎的な動詞が正反対の意味を担っていて日本語話者は混乱しないのだろうか?
歴史的に見ると混乱は生じずに今に至っている。
こんな疑問から、ことばと意味について考えるようになった。
その際、「ことばには意味がある」というキャッチフレーズが頭にあった。
これは岩波新書のしおりに書かれている標語である。
このキャッチフレーズを素直に読むとことばと意味は別物、という感じがする。
わかりやすくいうと、ことばとは意味という中身を入れる箱のようなものというイメージである。
実際多くの人はそう思っているのではないか?
私も何となくそう思っていた。
しかし今になって、そのイメージが前回の愚考の罠になっていたのかもしれない。
では本当はどうなのだろう?
それはまた次回に。
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