言語の起源(その6)
言語の起源のときは分からないけれども言語は人類の誕生とともにあった。
ただし、これは口頭言語のことである。
いま私たちが普通に使っている文字言語の起源はどれだけ遡っても6千年を超えることはない。
みんな当たり前と思っているけれども、口頭言語の歴史に比べて短すぎるのではないだろうか。
人類は長い間口から発せられたことばを定着させる必要を感じなかったのだろうか?
そんなことはないと思う。
口頭言語は口から発せられた瞬間に消えてしまう。
大事だけれどはかないものである。
そんなことばを何とかして残したいと思わなかったはずはない。
その企てのひとつは「うた」である。
私たちも経験することだが、歌にするとことばは憶えやすい。
だから古代では歴史を語るとき、「イリアス」のような叙事詩がふつうだった。
日本語にも平曲があるし、日本書紀や古事記には歌謡がたくさん残っている。
でもやはり「うた」では不十分だ。
いつまで継承されるかわからないし、記憶に頼らざるをえないから時間が経つにつれてどんどんオリジナルから離れていく。
もっと正確に伝えられるツールはないか?
長い間誰もそんなことを考えなかったとは思えない。
文字はメソポタミア地方で生まれたと言われている。
取引を正確に記録する必要があったからだと言われている。
粘土板に楔形のひっかき傷をいれた。
それぐらいのことなら何万年も前から出来たはずだ。
それとも何万年も前からいろいろ試してみたけれどうまくいかなかったのだろうか?
それなら考古学的研究で、その痕跡ぐらいは見つかるはずだ。
聖書には言語の起源や役割について、いくつもエピソードが書かれている。
しかしそれは口頭言語のことだ。
文字言語についてはひとことも触れていない。
無文字社会はつい最近までたくさんあった。
人類は本当は文字を必要としていない?
西欧の伝統的な口頭言語優位の思想はこんな潜在意識から出ているのかもしれない。
でも今は文字言語が全盛である。
SNSも文字がなければ成り立たない。
AIと人間とのコミュニケーションもやはり文字である。
しかし、音声化技術や音声認識の革新はどんどん進んでいく。
やがてAIと人間が口頭言語でコミュニケーションできる未来が来るかもしれない。
すると文字は不要という意識が広がるかもしれない。
この先、口頭言語と文字言語の関係はどうなっていくのだろう?
私たちは両者をうまく使い分けることが出来るだろうか?
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