「もの」と「たま」
「もの」を辞書で引くと、具体的な物体つまり「物」のほかに「霊妙な作用をもたらす存在」という語義が現代語辞書にも古語辞典にも出ている。
これは物体と違って形のないものである。
広辞苑の「もの」の項の用例には、源氏物語からたくさん引かれている。
今では「もの」と言えば「物」の意味が大きいが、紫式部の生きた時代は上の二つ目の意味が重要だったらしい。
平安時代の初期は人々は「もののけ」の祟りを信じていた。
実際に藤原道長も「もののけ」を恐れた人事を行っている。
時代背景を受けて源氏物語には「もののけ」が頻繁に出て来る。
「もののけ」というのは霊魂を意味する「もの」ということばに病気を意味する「け」がくっついてできたことばであり、病んだ霊が凶悪化して人にたたるというわけである。
つまり霊のうちでも低級な霊である。
そこへいくと言霊の霊は正常な力を発揮する。
人間の都合にかかわりなく、ことばそのものに宿った霊である。
言霊の力によって口に出すとそのことが実現されてしまうと人々は信じていた。
だから、うかつに口にすることはためらわれた。
ところで言霊は「ことだま」と発音される。
この場合の「霊」は「たま」と言われる。
古語辞典で「たま」を引くと「「生物に宿って精神活動を営むもの」と出ている。
広辞苑にはさらに「古来多く肉体を離れても存在するとした」という説明がついている。
そういえば、六条御息所の生霊が彼女の身体を離れて夕顔や葵上に取りついたというエピソードが源氏物語に描かれている。
どうやら「もの」も「たま」も生命の根源にあって本人にも制御できない不思議なエネルギーを指すようだ。
問題はどういうときに「もの」を用い、どういうときに「たま」を使うのだろう?
広辞苑の「たま=魂、魄、霊」の項には「玉と同源か」という記述がある。
ひょっとすると「たま=霊」は「たま=玉}から派生したのかもしれない。
縄文時代のむかしから勾玉という装身具があった。
装身具とするからには貴重なものだったに違いない。
三種の神器の一つにもなった。
つまり、「たま」にはよいイメージがある。
これにたいして「もの」はどうか?
「もの」自体は良くも悪くもないけれど、ときに「もののけ」になったりして人々に災厄をもたらすことがある。
それでどこか「恐ろしいもの」というイメージを引きずっている。
そう考えると「たま」のほうが格が上、という気がする。
反論があるかもしれないが。
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