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2024年5月19日 (日)

一音節語をめぐって(その28)

「い」を飛ばして「ゆ」である。
「ゆ」の一音節語としてよく使われるのは「湯」である。
水を沸騰させたものである。

英語では「hot water」という。
そのほかの欧米語でも似たようなものだと思う。
つまり、「湯」を水のカテゴリーとして認識している。

そこへいくと日本語や中国語は違う。
あくまでも水と湯は別物なのだ。
だから、別のことば、別の文字が用意されている。
世界の認識の仕方はことばに反映されるのだ。

日本語で湯は熱い水のことを意味するけれども、そこから派生して風呂や温泉のことも意味する。
「龍の湯」とか「太平の湯」とか「湯の街」と言ったりする。
英語では「hot spring」とここでも二語で表現するが。

辞書にはほかにもいくつか出ているが、現代語では使わない。
それから、正式な語ではないが、「ゆ」は「や」と「よ」の間に位置するので「野党」と「与党」の間にあってどっちつかずのあいまいな政治的立場を揶揄して「ゆ党」と呼ぶことがある。

以上は和語の話だけれど、「ゆ」の字音を持つ漢字として、「油」、「喩」がある。
「油」は「原油」や「油田」として今でもよく使われる。

しかし、「喩」は字が難しいので「比喩」くらいしか使わない。
いずれも一音節語ではない。

さて、「え」を飛ばして「よ」である。
「よ」と言えばまず「世」である。
「世の中」、「世に問う」、「明治の世」、「人の世」、「浮き世」などと言ったりする。

非常に多義的な語である。
だから、「世をはばかる」のように「よ」を含む慣用句も辞書には40近く出ている。

原義は何だろうか?
要するに人が生きる時間空間を包みこむ何かをまとめて「世」と表現しているのではないか?

広辞苑には、「語源的には節(よ)と同じで、限られた時間の流れを意味する」との解説が載っている。
「源氏の世」、「平家の世」などの言い方はよく使われる。

してみると、時間的な意味が源なのか?
いやいや、辞書には「人が集まって生活しているところ、またそこの人々」という語釈も出ている。

とにかく多義的な語だから何が原義で何がそこからの派生なのかも判然としない。
こういう語は扱いにくい。

「よ」を漢字で表記すると「世」になる。
辞書には「代」も一緒に出ている。
「君が代」、「第73代首相」のあの「代」である。

時間的には共通する意味もあるが違う部分もある。
「代」のほうは、「代替わり」というように「いずれ代わる」という意味を含意している。
「世」にはそんな意味はない。
だから、「世」のほうがよく使われる。

欧米語には「よ」にどんぴしゃりの訳語がない。
時間的な意味としては、timeやlifeがそれに近いかもしれない。

空間的な意味としては、worldというまったく別の語が近い。
でも、日本語のようにどちらの意味も含めて「よ」ということはない。

とにかく「よ」は扱いにくいけれど、もうひとつ「よ」がある。
漢字で書くと「予」や「余」である。
この「よ」は一人称である。

「予の言うことが聞けぬのか!」とか「余の刀を持ってまいれ」とか言う。
時代がかった一人称なので時代劇でよくきく。

でも、現代語でも使える。
夏目漱石などは自分のことを「余」と言ったりしている。
私だってふざけて使うことはある。
漢語では「予定」とか「余裕」はよく使うけれどももちろん一音節語ではない。

それから「夜」はふつう「よる」と読むけれども、「よ」と発音することもある。
「夜を徹して」とか「月夜」とか「真夜中」とか言う。

「や」と発音することもできる。
「暗夜」とか「夜半」とか「徹夜」とか言う。

とにかく「や」行は特殊でややこしい。

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