一音節語をめぐって(その24)
「ま」については、まず和語に「間」という一音節語がある。
「間があく」とか「間が伸びる」という言い方は割合よくする。
要するに「あいだ」の意味である。
空間的な「あいだ」にも、時間的な「あいだ」にも使う。
人と人は、ふつうあまり接近しすぎてはいけない。
だから、人は適度な「間」を大切にする。
こういう大事なことばだから、他にも使うことがある。
たとえば、「京間」とか「江戸間」のように、家の間取りをいうこともある。
また、慣用句も多い。
「間に合わせる」、「間が抜ける」、「間が悪い」、「間を置く」などのように。
それから、広辞苑には「馬」も出ている。
ふつうは「うま」というけれども、古語では「ま」という一音節語もあった。
人名でも坂本龍馬のように「ま」と読む。
漢和辞典では「馬」の字音は漢音では「ば」、呉音では「ま」となっている。
訓では「うま、ま」と出ているが、私はこれは怪しいと思っている。
本当は「ま」は訓ではなく音ではないのか?
「うめ」と同じように、語頭に「う」を付加しただけではないのか?
「梅」は漢和辞典では音は「ばい」と出ているが、中国語音では「めい」である。
でも私は言語学の専門家ではないので確定的なことは言えない。
どなたかご教示をお願いします。
それから一音節語ではないが、接頭辞としての「ま」がある。
漢字では「真」と表記する。
「まじりけのない、完璧な」という意味である。
真正面、真ん中、まんまる、真っ白、真四角、まっすぐ、などたくさんある。
どれもよく使う。
新語では「真逆」という言い方もよく使われるようになった。
とにかく強調したいときには、便利な接頭辞である。
字音で「ま」と読む漢字は多くないが、「魔」という魅惑的な漢字がある。
字形に「鬼」が住んでいて恐ろしい。
「悪魔」とか「魔物」とかいって、怖がられている。
でもそれだけではない。
「魔」には「不思議な力」という意味もあって、これは必ずしも悪い意味だけではない。
「魔力」と言えば「すごい力」という意味になる。
そういえば、「魅」の字にも「鬼」が住んでいる。
「鬼」が住んでいるけれども、魅惑とか魅力とか言って人を引き付ける作用がある。
「鬼」は怖いけれども人を引き付ける力も持っている。
私も「ことばの魔力」に囚われてしまったのかもしれない。
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