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2024年3月24日 (日)

「にほん」と「にっぽん」(その3)

いまから19年前、このブログに「にほん」と「にっぽん」、という投稿をしたことがあった。
このブログをはじめて間もないころである。
要旨は次の通り。

・他の語と違って、「日本」という国号は文字表記が先行して発音は後回しになった。
 だから、天武天皇は「やまと」と発音したかもしれないし、いまに至るまで「にほん」と「にっぽん」の間で揺れ動いている。

・現代の日常会話を観察してみると、「にほん」と発音している人のほうが多い。
 「にほん」のほうが「にっぽん」に比べて発話エネルギーが少なくてすむからこれは言語経済の理にかなっている。

・ただし、「にほん」に比べて「にっぽん」のほうが正統である、という意識は多くの日本人が共有している。
 これは、「日本」とつく会社名の英文表記、紙幣や切手の「Nippon」の表記を見てもわかる。

・多くの日本語話者にとって、「日本」という表記が大事であって、その発音はどちらでもいい、と思っている。

このような認識は20年近く経った今もまったく変わっていない。
つまり、日本語が続く限りこの現象は変わらないと思う。
だから、この問題についてこれ以上追究しない。
けれど…。

もう一度だけ、「にほん」を観察してみよう。
「にほん」は「日本」という漢字表記の読みの一つである。
したがって字音である。

素直に字音で読むならば「にちほん」になる。
「にっぽん」というのは、それの促音便化したものである。
ここまでは自然である。

しかし、「にち」という字音を略して「に」と発音することが許されるのだろうか?
「日」を「に」と訓むのは「日本」の場合だけである。
きわめて特殊な読みというほかない。

「にほん」とアメリカの関係は「にちべい」関係である。
「にべい」関係とは言わない。

「にほん」と韓国の関係は「にっかん」関係である。
「にかん」関係とは言わない。

単独では「にほん」というが、複合語になると本来の字音である「にち」あるいはその促音便に戻っている。
このことからも、「日」を「に」と読むのは極めて異例というほかない。

どうしてこのような異例の読みが生じたのだろうか?
単に言語経済上の理由だけだろうか?
わからない。

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