一音節語をめぐって(その16)
「て」は何といっても「手」である。
もちろん和語、関西方言の「てえ」である。
身体部位を示す語は、一音節語が多い。
前回出てきた「血」をはじめ「目」、「毛」、「歯」、「背」など。
いずれもよく使う語だから言語経済の原則に従っている。
身体部位のなかでも、手は人間にとって非常の重要な器官なので、意味する範囲も広い。
単に身体部位を指すだけではない。
「取っ手」など手のよう突き出たものをも指す。
「人手」、「手の者」、「読み手」など手のように働くものをもいう。
また、「手にする」、「ほかにいい手がない」のように手を働かせてすること、するものの意味もある。
「これは誰それの手」のように、手で書くこと、その結果としての文字をもいう。
それから、「上手=うわて」、「下手=しもて」のように方角を指すときにも使う。
手で指すからである。
さらに「深手を負う」などのように、相手から受けた傷のことをいう場合もある。
これは相手が手を下したからである。
このように「手」を使った言語表現は広範にわたる。
広辞苑には「手」を含む慣用句が100近く収録されている。
しかし、広辞苑の「て」の項には「手」のほかには出ていない。
要するに「て」は「手」だけなのだ。
ほかの音にはこんなことはない。
みんな複数の意味を担っているのに。
では、「と」はどうだろう?
「と」は和語も漢語もそれなりにある。
このうち、和語で現代語でも使われているのは「戸」くらいだろうか?
漢語では「途」、「徒」、「都」などをよく見かける。
「途」や「徒や「都」は、「出発の途に就く」や「無頼の徒」、「都の方針」などのように一音節語として使うこともあるが、「途中」や「壮途」、「徒歩」、「生徒」、「都会」、「首都」などのように他の漢字と結合して熟語として使うことのほうが多い。
こうしてた行を見てきたけれど、ほかの行に比べて一音節語が少ないことがわかる。
た行の音は破裂音や破擦音でできているので、発声に要するエネルギーが大きい。
だから、エネルギー節約の観点から語が少ないのかもしれない。
これも言語経済の原則に従っている。
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