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2024年1月28日 (日)

一音節語をめぐって(その16)

「て」は何といっても「手」である。
もちろん和語、関西方言の「てえ」である。

身体部位を示す語は、一音節語が多い。
前回出てきた「血」をはじめ「目」、「毛」、「歯」、「背」など。
いずれもよく使う語だから言語経済の原則に従っている。

身体部位のなかでも、手は人間にとって非常の重要な器官なので、意味する範囲も広い。
単に身体部位を指すだけではない。

「取っ手」など手のよう突き出たものをも指す。
「人手」、「手の者」、「読み手」など手のように働くものをもいう。
また、「手にする」、「ほかにいい手がない」のように手を働かせてすること、するものの意味もある。
「これは誰それの手」のように、手で書くこと、その結果としての文字をもいう。
それから、「上手=うわて」、「下手=しもて」のように方角を指すときにも使う。
手で指すからである。
さらに「深手を負う」などのように、相手から受けた傷のことをいう場合もある。
これは相手が手を下したからである。

このように「手」を使った言語表現は広範にわたる。
広辞苑には「手」を含む慣用句が100近く収録されている。

しかし、広辞苑の「て」の項には「手」のほかには出ていない。
要するに「て」は「手」だけなのだ。
ほかの音にはこんなことはない。
みんな複数の意味を担っているのに。

では、「と」はどうだろう?
「と」は和語も漢語もそれなりにある。

このうち、和語で現代語でも使われているのは「戸」くらいだろうか?
漢語では「途」、「徒」、「都」などをよく見かける。

「途」や「徒や「都」は、「出発の途に就く」や「無頼の徒」、「都の方針」などのように一音節語として使うこともあるが、「途中」や「壮途」、「徒歩」、「生徒」、「都会」、「首都」などのように他の漢字と結合して熟語として使うことのほうが多い。

こうしてた行を見てきたけれど、ほかの行に比べて一音節語が少ないことがわかる。
た行の音は破裂音や破擦音でできているので、発声に要するエネルギーが大きい。

だから、エネルギー節約の観点から語が少ないのかもしれない。
これも言語経済の原則に従っている。

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2024年1月21日 (日)

一音節語をめぐって(その15)

「た」は辞書の登載数が他の一音節語に比べて少ない。
このうち自立語として登載されているのは「田」、「為」、「他」、「多」、「誰」だけである。

和語は「田」、「為」、「誰」。
このうち 今でもよく使うのは「田」である。

日本列島は長い間米作地帯だったからそうなる。
いま、日本人のコメ離れが進んでいるから、日本語話者の言語活動に「田」が出現する頻度は低下するかもしれない。 

それでも、日本人の姓には「田」が付くものが非常に多い。
「村田」、「石田」、「上田」のように下にも付くし、「田村」、「田辺」、「田中」のように上にも付く。
日本列島が米作地帯であったことの何よりの証左である。
姓は不変性が高いから、この点はあまり変わらないかもしれない。

「為」や「誰」はほとんど使わない。
ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」くらいだろうか?

「他」と「多」は漢語であるが、これはよく使う。
「他人」や「多数」のような二字熟語も頻出する。
でも、この二つだけである。

「ち」は「た」に比べると掲載数が多い。
このうち、よく使われる和語の一音節語は「血」である。

「血」は生命の象徴でもあるから、これを含んだ言い回しも多い。
「血となり肉となる」や「血と汗の結晶」などのように。

ちなみに前回もお話ししたように関西方言では一音節語は二音節的に発音することが多い。
「田」や「血」も、「たあ」、「ちい」のように発音する。
あるいは一音節の内部で高低が変化する声調類似の現象と言えるかもしれない。

「地」や「知」や「治」は漢語であるが、これらも比較的よく使う。
一音節語としても使うが、「地域」や「知識」、「治安」などのように二字熟語としてのほうが私たちにはなじみが深い。

「つ」は「た」よりもさらに少ない。
辞書に載っているのは「津」と「唾」だけである。
どちらも和語だけれど、現代語では使わない。

古語としては、比較的よく出てくる。
「摂津」や「津守」などのように「津」は港、船着き場としての意味がある。
陸上交通が未発達だった古代は船が今よりもはるかに重要だったことがことば遣いの面からもよくわかる。

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2024年1月14日 (日)

一音節語をめぐって(その14)

「せ」はどうだろう?
ここでも「す」と同じく和語が活躍している。

まず「瀨」がある。
日本には小河川が多いからだれでも「瀬」は知っている。
「瀬」のほとりに立って耳を澄ますと「せせらぎ」が聞こえる。
「さ」行音のさわやかさを実感する時である。

次に「背」。
これもよく使う一音節語だ。
人間の場合、「背中」ともいう。
「おなか」との対を意識した表現だろうか?

「背」だけだと人間以外にもよく使う。
「椅子の背」や「背表紙}などという。

余談になるが、身体部位を指すことばには一音節語が多い。
「目」、「手」、「毛」、「歯」など。
やはり言語経済の原則から、身近な語には一音節語が多いということだろうか?

さらに余談になるが、関西方言ではこれらを一音節では発音せず、(日本語では)二音節になる。
たとえば、「めえ」、「てえ」、「けえ」、「はあ」など。
やはり地理的に中国が近いので、中国語の影響を受けているのだろうか?

古語にまで視野を広げると、人称代名詞の「せ」もある。
漢字では「兄、夫、背」などと表記する。
女が夫や恋人を指すときに使う。
万葉集にも「~履はけわが兄」などというフレーズがある。
また、姉妹が男兄弟を指す場合もある。

ここでも漢語の影は薄い。
辞書を繙いても今使われている漢語はない。
「せ」と読む字音がほとんどないのだろうか?

「そ」という一音節語は和語にも漢語にもない。
古語にわずかにあるくらいだ。
珍しい現象だ。
なぜだろう?

こうして「さ」行音を見てくると、「さ」と「し」は漢語優位、「す」と「せ」は和語優位、「そ」は無勝負ということになる。
穏やかな結果になって、やれやれである。

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2024年1月 7日 (日)

一音節語をめぐって(その13)

前回の最後にお話ししたように、日本語話者の言語活動は漢字・漢語に依存している。
「し」に至ってその傾向は一段と顕著になる。

「し」の一音節語としてもっともよく使われるのは「死」と「詩」である。
このほかにも「市」や「氏」がよく用いられる。
一音節語ではないが、「史」や「資」、「私」、「志」、「支」、「仕」、「司」、「試」、「使」なども書きことばによくあらわれる。

いずれも漢語である。
現代語で和語の一音節語はない。

もっとも「紙」、「枝」、「雌」、「歯」、「指」、「私」、「糸」、「子」など字音では「し」と読む語は、和語ではまったく別の音を当てられてよく使われる。
その中には、「歯」や「子」のような一音節語もある。

ところで「しー死」はよく使われる語だが、これには訓がない。
漢字伝来以前の古代日本語話者は「死」のことを何といっていたのだろう?

「しー詩」もよく使われる語だが、これにも訓がない。
漢字伝来以前の古代日本語話者も「詩」のごときものは作っていたと思う。
そもそも言語は「うた」から発展したという説もあるくらいだから。
古代日本語話者は「詩」にあたるものを何と呼んでいたのだろう?
やはり「うた」だろうか?

「す」に至って、やや和語が復権する。
「洲」、「素」、「巣」、「酢」などはみな和語である。
このうち、よく使うのは「巣」や「酢」だろうか?
「酢」などはどの家の台所にもある。

「す=鬆」はちょっと難しいが、「まあ、この大根すが入ってる!」など時々いう。
内部にできた空洞のことである。
これも和語である。

「素」は「素肌」、「素足」、「素手」などのように接頭辞として用いられることが多いが、「素のままで演技してください」などのように、独立の一音節語として使うこともある。

反対に「す」の領域では漢語は影が薄い。
なぜだろうか?
字音で「す」と読む漢字が少ないのだろうか?

ただ、有声音の「ず」になるとまた漢語が復活する。
「ず=図」などはよく使う。

「ず=頭」は一音節語としてはあまり使われないが、「頭が高い!」などということもある。

「ず=図」も「ず=頭}も呉音である。
漢音では「頭」は「とう」、「図」は「と}になる。
これも「頭取」、「図書館」などとしてよく使われる。

こうして見てくると、日本語における和語と漢語のせめぎあいは面白い。

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