レヴィ・ストロースと三色すみれ
大橋保夫の「野生の思考」は名訳のほまれがたかい。
と、梅棹忠夫さんが言っていたので、名訳とはどんなものか知りたくて図書館から借りてきた。
その名訳とはこんな具合だった。
「野生の思考のこれらの面はことごとくサルトルの哲学にも見出される。まさにそのゆえにこそ、この哲学には野生の思考を批判する資格がないと私は考える。(中略)民族学者にとっては、この哲学は(他のすべての哲学と同様に)第一級の民族誌的資料である。現代の神話を理解しようとすればその研究は不可欠であろう。」
(クロード・レヴィ・ストロース 大橋保夫訳「野生の思考」 みすず書房 1976)
なるほど、わかりやすい。
この皮肉の利いた一文を読むだけで、当時フランス哲学界の旗手だったサルトルの権威がこの本によって失墜したというのもわかる気がする。
ところで、「野生の思考」という日本語訳表題のことである。
フランス語の原題は「La Pensse sauvage]である。
それがどうして「野生の思考」と訳されたのか?
大橋さんは「訳者あとがき」でこのことに触れている。
「sauvage」はふつう「野蛮」と訳されることが多い。
西洋社会の根深い偏見が詰まった語である。
しかし、この語が植物に適用されると栽培種に対する「野生」という意味になる。
そして「pensse」は「思考」の意味があり、同時に「三色すみれ」をも指す。
レヴィ・ストロースはこの二つの語の両義性を利用してこの原題を考えた。
巧妙な仕掛けである。
この本の表紙には三色すみれの絵が大きく描かれている。
またこの本の末尾には三色すみれにまつわるヨーロッパの民話が付録として収録されている。
このこともレヴィ・ストロースの意図を暗示している。
こうして「野蛮」ではなく「野生」になった。
野生の思考のスタイルは、現代のいわゆる文明人にもふつうにみられる。
レヴィ・ストロースは野生の思考に正当な地位を認めた。
歴史的な転回である。
「野生の思考」というタイトルはそのことを象徴している。
と、大橋さんは言っている。
なるほど、表題ひとつを訳すにもそこまで考えなくてはいけないのか!
たしかに名訳である。
大橋さんはレヴィ・ストロースの文体について、「訳者あとがき」で次のように言っている。
「本書はレヴィ・ストロースの著作の中でも格別に難解なものとして知られている」
そしてその最大の原因としてかれのこりにこった独特の文体をあげている。
「現代のフランス語の文章に対するその影響はきわめて大きく、おそらく本書はフランス語史にその名をとどめるであろう。」
内田樹さんによると、レヴィ・ストロースは論文執筆にあたっては必ずマルクスの任意の著作の数ページに目を通したという。
そうすると、脳が活性化するのだそうだ。
なるほどレヴィ・ストロースの名文には、そんな秘密があったのか。
ともあれ名文とその名訳である。
いいものを読ませてもらった。
といって、サルトルを批判した最終章しか読んでないけれど…。
| 固定リンク
コメント