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2022年9月18日 (日)

バルトの断章

ラカンに比べるとロラン・バルトのテキスト(の日本語訳)はまだしも読みやすい。
たとえば、こんな具合である。

ところが、わたしが話題にしている都市(東京)は、つぎのような貴重な逆説をしめしている。たしかに東京にも中心はあるのだが、その中心は空虚だということである。立ち入り禁止になっているとともに、だれの関心も引くことのない場所ー樹木の緑で隠され、お堀で守られて、けっして人目にふれることのない天皇が、つまり文字どおり誰だかわからない人が住んでいる皇居ーのまわりに、東京の都市全体が円をえがいて広がっている。
(ロラン・バルト 石川美子訳 「記号の国」みすず書房 2004)

日本語話者にとって身近な題材を取り上げているため、読みやすいのは当然かもしれないが、ここには日常の生活実感につながった手がかり、足がかりがたくさんある。

内容はラカンと同じくらい急斜面だが、よじ登れないことはないな、という気にさせる。
また、同じ題材について、ラカンならどんなふうに書くだろう?という興味もある。

「記号の国」はバルトが1960年代後半に日本を三度訪問、滞在した時の経験を踏まえて1970年に出した本である。

バルトは写真についても関心が深く、写真のエクリチュールをテーマにしたテキストもある。
なので、この本にもバルト自身の解説による写真がたくさん掲載されている。

古代装束をまとった舟木一夫、歌舞伎役者、二条城の廊下、石庭、相撲、毛筆による漢字など伝統文化に関するものがが多いが、パチンコ風景、タレントのブロマイド、全学連の闘争風景などもあって面白い。
乃木将軍とその妻の殉死前日の写真なんてのもある。

テキストとこれらの写真がバルトの意図のもとに渾然一体となっていて、楽しいけれども気の抜けない本だ。

この本は、表面的には日本の伝統文化や見聞きしたことと西欧のそれとを対比した比較文化論のようだけれど、ほんとうはバルトの考えるエクリチュールが主題なのだ。
実際エクリチュールという語は、この本の中に頻出する。

でもバルトの考えるエクリチュールとはなんだ?
この本を楽しく読みながらも、つねに悩んでいたのはそのことだ。
このフランス語にはぴたりとあてはまる日本語がないので困る。

広辞苑には、「書くこと、書かれたもの」と出ているけれども、少なくともバルトの場合、これではだめ。
内田樹さんはその人が属している階層や社会集団に特徴的な「語り口」と言っている。

この本における「エクリチュール」にあたる日本語としてもっともふさわしいのはなんだろう?
この本を読みながらずっと考えていたのだけれど、いまだにわからない。
あなたなら、どんなことばがいいと思いますか?

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