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2022年7月18日 (月)

「書く」ことの意味

毎日使っているパソコンのキーボードをしみじみと見つめてみる。

少し前、私はかな入力をしないので、かなキーの位置など気にも留めたことがない、と言った。
しかし、この言語とAIのシリーズを始めてから、かなキーの配列が気になってきた。

あらためてかなキーの配列を眺めてみる。
「あ」は一番上の列、左から4番目に割り当てられている。
次の「い」は、2列目左から4番目に配置されている。

なるほど。
あ行は順に下に降りていくわけか。

と思って、3列目を捜してみても「う」は見つからない。
では、「う」はどこにあるのだろう?

と思って、必死に探してみると 何と「う」は「あ」の右隣にあった。
そして次の「え」、その次の「お」もさらに右に続いていく。

しかし、「か」はまた2列目の6番目にある。
その右隣は「き」ではなく、50音図欄外の「ん」が唐突にあらわれる

見慣れている50音図の順序とはまるでちがう。
でたらめな配列と思えてくる。

この点、スマホの文字配列は分かりやすい。
50音図に忠実である。

スペースの制約で、キーをたくさん表示できないので「お」を打つためには「あ」を5回押さなくてはならない。
その分、適切な候補を表示することでカバーしている。

一体、パソコンキーボードの配列はどのようなポリシーのもとに決められているのだろう?

基本的には、タイプライター時代からの配列を引き継いでいるようだ。
そしてで、その時代の配列はメーカーや開発者が「使いやすさ」「覚えやすさ」を追求した結果だと思う。

ただ、「使いやすさ」、「覚えやすさ」と言っても決定版はないので、試行錯誤の結果、さまざまなキー配列が提案されている。

決して私がいま使っているキーボードの配列だけが決定版というわけではないようだ。
所詮は「慣れ」の問題かもしれない。

しかし、この先キーボードの文字配列にこだわる必要はなくなるかも知れない。

先日、知人が音声入力でメールを作成しているのを見てびっくりした。
苦労してキーなど押さなくても、スマホに向かって書きたいことをしゃべるだけで、さらさらとメールが生成されるのだ。
私のスマホには音声入力の機能がないのでうらやましく思った。

音声認識技術はもうここまで進んでいる。
私が次の機種に買い替える頃には、どれも音声入力ができるようになっているだろう。

「話す」、「聞く」、「書く」、「読む」を言語の4技能というけれど、近未来には「書く」が必要なくなるかもしれない。

わたしたちは文字を読むことさえできればいい。
書くという面倒なことは機械に任せればいい。
人間はそれだけラクになる。

でも本当にそれでいいのだろうか?
自分の手で「書く」ということは、創造性と深く結びついていると思うのだが…。

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2022年7月10日 (日)

言語とAI

前回は、これから先AIはどこまで進歩するのだろう、と考え込んでいるうちに陰謀史観めいたものにたどりついてしまった。
「神さまの陰謀」、「神さまの逆襲」なんてことばが頭をよぎる。

将棋や囲碁の世界では、今では専門棋士でもAIにかなわない。
ほんの10年くらい前まで、コンピュータが人間に勝つのはまだ何百年も先の話と思われていた。

このことを考えれば、これから先人間とAIの関係はどうなるのだろう?
気が遠くなりそうだし、恐ろしくもある。

計算や情報処理の分野ではもうかなわないけれど、今はまだ人間がAIを支配している(と思っている)。
けれど、この先AIが「意思」や「感情」を持ち始めることはないだろうか?

絶対にない、と断言できる自信は私にはない。

宇宙船に搭載されたHAL9000が意思を持ち人間に対して反乱を企てる、というシーンを憶えておられる方もいると思う。
50年前に封切られたこの映画「2001年宇宙の旅」は、人間とAIの未来を考えるうえで示唆的だ。

最近の朝日新聞に、「AIと創作の未来」という記事が出ていた。
今では、AIが何十万句という俳句を学習し、それをもとに自分(AIのこと)でも創作できる、というのだ。

「初恋の焚火の跡を通りけり」
「唇のぬくもりそめし桜かな」

という風に、1秒間に40句を生成するという。

みなさんはこの句について、どのような感想を持たれるだろう?

「AIもなかなかやるじゃない」
「それらしいけれど、なんだか血が通っていないな」

わたしたちは、AIが言語をただのデータとして処理していることを知っている。
だから、直感的に「血が通っていない」と感じてしまうのだ。

人間ももちろん言語をデータとして処理している。
しかし、人間と言語の関係はそれだけにとどまらない。

人間は言語を各個人の五感や人生経験と深く結びつけて理解している。
言語を肉体化している、と言ってもいい。

その証拠に、AIやコンピュータは言語がなくても(それに代わる情報さえあれば)存在できるけれども、人間は言語がなくては生きていけない。

AIが創作した俳句についても、そのままでは単なる情報処理結果である。
しかし、それを人間が「読む」ことによって、生命が吹き込まれることもある。

やはり人間とことばの関係は特別なのだ。
いくらAIの性能が進んでも、この点は代替できない。

と今は人間はそう思っている。
しかし、AIはどこまで発達するかわからない。
AIには「血の通った創作行為」ができない、とは断言できない。

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