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2022年6月19日 (日)

驚天動地の事態(その5)

アラビア文字も、タイ文字も、キリル文字もキーボードに刻印されている。
もちろん、日本製のパソコンのキーボードにはひらがなが刻印されている。

私はつねづねローマ字入力を行っているから、ひらがなキーを意識したことはない。
ローマ字入力とかな入力をしている人の割合はどのくらいだろうか?
ローマ字入力のほうがキーの位置を覚えることが少なくてすむから、ローマ字入力派のほうが多いと思うのだが…。

スマホは、ローマ字入力ができない。
かな入力オンリーだけれど、キーをたくさん置けないから各行の5文字をひとつのキーが兼用している。
だから、たとえば「お」なら、「あ」のキーを5回押さねばならない。
スマホが苦手な私はこれが面倒くさいのだが、やむを得ない。

そのかわり、1文字打ったところですでにたくさんの語彙の候補が表示される。
たとえば「お」と打っただけで、「おめでとう」、「送ります」「俺」などの候補が瞬時に表示される。
候補は私の使用語彙の傾向をスマホが学習して、私が書きたいことをいわば忖度して表示してくれるからありがたい。
スマホをよく使う人は、この機能をフルに活用しているのだろう。

ありがたい機能である。
しかし、おせっかいな機能でもある。

副作用もあると思う。
この機能のおかげで手書きができなくなる。
特に、漢字を使う日本語話者にとってこの副作用は深刻だ。

「とめ」、「はね」、「はらい」など手書きに特有の技能も絶滅寸前だ。
日常的にスマホを使っている子供たちにとって、その意義などわかるまい。

この先、手書きの必要なんてほとんどなくなる。
漢字は読めさえすれば、書けなくてもいい。

そんなふうに割り切ってしまうのもひとつの見識かもしれない。
でも、そんなことでいいのだろうか?と私などは考え込んでしまう。

この先、IT技術はますます進歩するだろう。
AIもますます社会に浸透してゆくだろう。

車の自動運転が普及するのももうすぐだ。
人間はただ乗っているだけでいい。

多くの職業もAIで代替できるらしい。

コンピュータは電子計算機と訳されている。
しかし、これからは学習することも、考えることもAIがやってくれる。

そのうち、怒ること、悲しむこと、愛することすらAIが代わってやってくれるかもしれない。
そうなれば人間は何をすればいいのだろう?

ときどき、ふと考える。
たしかにITやAIは人間が発明した文明だけれど、神さまは人間がAIを生み出した段階で進歩が止まるように、その後は退歩するように、初期プログラムを設定したのではないだろうか。

そんな陰謀史観が頭をもたげてくるときがある。

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2022年6月12日 (日)

驚天動地の事態(その4)

いま世界を覆うIT技術はローマ字と相性がいい。
IT技術はローマ字の上に成立していると言ってもいい。

ローマ字は単体では何も表さない。
ただの要素である。
その要素が複数組み合わさって森羅万象を表記する。
そのデジタル性がITにかなったのだ。

漢字は多くの利点を持った素晴らしい文字である。
言語が異なる人々の間でも漢字を共有していれば、筆談によってコミュニケ―ションをとることができる。
かつての漢字文化圏ではそれをやっていた。

漢字は単体で意味を表すことができる。
意味だけでなく音も表すことができる。
ローマ字が分析的性格を有するとすれば、漢字は総合的なのだ。

しかし、その総合性、アナログ性がIT技術と相性が悪かった。
その証拠に、漢字を刻印したキーボードはない。
アラビア文字でも、キリル文字でも、タイ文字でもキーボードに配列されているのに。

世界の主要文字の中で、漢字だけがキーボードにのらない。
中国語話者の多くは、ピンイン入力をしているという。
私が日本語をローマ字入力しているのと同じように、漢文を作成するのにローマ字に依存しているのだ。

繁体字の台湾では、注音符号がキーボードに刻印されているという。
いずれにせよ、漢字をそのままパソコンに入力することはできない。

いま大陸中国では簡体字を用いている。
簡体字はパーツを簡略化した結果、漢字の本質である象形性を失ってしまっている。
視認しただけではイメージがわいてこない。
そういう意味では漢字と似て非なる符号になってしまっている。
ローマ字化への第1歩かもしれない。

これからも社会のIT化はますます進歩する。
いま日本における漢字も中国における簡体字も一見安定期に入っているように見えるけれども、遠い将来、わたしたちが想像もできないようなIT社会が実現すればどうなるだろう?

中国は当然、「世界の中でIT化のトップに立ちたい」という野心を持っているだろう。
だとすれば、「漢字はIT化の障害になっている。簡体字など生ぬるいことはやめて、いっそのこと漢字を全廃してポーマ字を採用しよう!」という過激論が台頭しないとも限らない。

もちろん、漢字の全廃は偉大な中国の歴史や文明との断絶を意味するから反対論も根強いにちがいない。
しかし、漢字全廃はベトナムにも朝鮮半島にも前例がある。
ひょっとしてひょっとすると「驚天動地の事態」が現実になるかもしれない。

そうなると漢字を使用するのは世界の中で日本と台湾だけになる。
わたしたちはその寂寥感に耐えられるだろうか?

というのが16年前の「驚天動地の事態」の締めくくりだった。

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2022年6月 5日 (日)

驚天動地の事態(その3)

わたしたちの身辺にはつねに「みず」がある。

「みず」は漢字で表記すれば「水」である。
英語では「water」であり、ローマ字を5文字こんなふうに配列して表記する。

「水」は水が流れるさまの象形である。
だからこの文字を目にしたとたん、水のイメージが浮かんでくる。

「water」を目にしても、即座には水のイメージは浮かんでこない。
「water」を認知して、それを音声化して(口に出さずとも)、心の中の辞書と照合して、ようやく水の意味に到達できるのだ。
(むろん英語話者はこのプロセスを瞬時にやっているのだが)

「水」は1文字で「みず」という語を表すから表語文字である。
よく漢字は表意文字と言われるけれども、意味をあらわすだけでなく音も表す。
だから表語文字なのだ。

ローマ字はよく表音文字と言われるけれども、「w」という文字は単体では何も表さない。
「water」と複数の文字が結合してようやく音を表すことができる。
ローマ字単体は音の要素を表しているという意味で、音素文字なのだ。

ユーラシア大陸の東では象形文字。
西では音素文字。
なぜこのように分岐してしまったのだろう?

ものの形を模倣してその意味を他人に伝達するというのは、コミュニケーションの手段として自然なものに思える。
だから、いまはローマ字圏の地域でも文字の起源まで遡れば象形文字があったのではないか?
古代エジプトのヒエログリフのように。

しかし、ローマ字圏では早い段階で音素文字が象形文字を駆逐してしまった。
なぜそうなったのだろう?

「みず」を熱すると「ゆ」になる。
漢字では「湯」と表記する。
サンズイの部首を持つことで「みず」とのつながりは維持されているが、即座にはわかりにくい。

英語では「hot water」である。
「湯」と違って2語を費やすことになるが、「みず」も「ゆ」も、本質的には「water」であることがすぐにわかる仕掛けになっている。

和語では「みず」と「ゆ」である。
漢字では「水」と「湯」である。
英語では、「water」と「hot water」である。

ここからひとつのことがわかる。
和語でも漢字でもこの液体を別のものと認識している。
しかし、英語では同じものの別の状態と認識しているのだ。

別の言い方をすれば、日本語も中国語も総合的な世界観を持っている。
これに対して英語は分析的な世界観を持っているのだ。

分析的な世界観には音素文字がふさわしい。
ローマ字圏で音素文字が象形文字を駆逐してしまったのは、この世界観のせいかもしれない。

デジタル社会は基本的に分析的な世界観と親和性が高い。
未来に向けて、漢字は分が悪いと言わざるを得ない。

現に中国の簡体字は、簡略化の結果象形文字の本質を失ってしまっている。
漢字廃止まであと一歩なのだ。

社会のデジタル化がますます進めば、中国における漢字廃止という「驚天動地の事態」も現実味を帯びてくるのではないか?

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