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2018年7月15日 (日)

神さまの名前(その4)

これまでおもに旧約聖書の創世記に拠りつつ、そこに登場する土地の名前や人の名前について、だれが名付けたのかとか命名の由来とかについてえんえんと愚考を重ねてきた。

ここまで来た以上、その土地や人を作った張本人である神さまの名前についても知らんふりをするわけにはゆくまい。

神さまに名前があるのかどうか?
土地や人と同じように、神さまにも固有名詞が必要かどうか?

むずかしい深刻な問いである。

手許にある中央公論社版の旧約聖書では「わたしはお前の神ヤハウェである」とみずから名乗りを上げている(出エジプト記20章2節)。

しかし、新共同訳では「わたしは主、あなたの神」としか言っていない。
数種類ある日本語訳では、ヤハウェという固有名詞を明示しないのが大勢であるようだ。

ヘブライ語の原典にはたしかに「YHWH」(ヘブライ文字をローマ字に翻字)とあるけれども、この部分をどう訳すのか、どう処理するかは複雑な歴史的経緯もあって困難な問題らしい。

いずれにせよ、私ごときには手に負えない。

神さまに名前があるのかどうか?
その名が「ヤハウェ」なのかどうかはわからないけれども、テキストをすなおに読む限りあるような気がする。

創世記(新共同訳)にも、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」とある(4章26節)。
中央公論社版では「名を呼ぶ」とは礼拝することである、と解説されているけれども、礼拝の際に何らかの固有名詞を称えたのではないだろうか?

人間にとって、固有名詞は事物にたどり着くための手掛かりである。
たとえ相手が唯一の神さまであっても、すがりつくためには手掛かりがほしい。

だからモーゼは、イスラエルの人たちから「その神の名は何か」と聞かれたらどうしよう?と神さまに問いかけたのだ(出エジプト記3章14節)。

モーゼの問いに対して、神さまは「わたしは『ある』というものだ」と答えている。
たしかに「ヤハウェ」というのは「存在」という意味らしいから、それなりに筋が通った答えと言えるかもしれないけれども、モーゼにとっては何だかはぐらかされたような気分だったろう。

それはともかく、神さまは「わが名をみだりに称えてはならん」とも言っている(出エジプト記20章6節)。
わざわざそんな訓戒をたれるということは、逆に言えば神さまの名を称えるという風習が存在していたということだ。

やはり、神さまには名前があったような気がする。
もしそうだとすれば、また私の悪い癖で「じゃあ、その名はだれが付けたのだ?」という疑問が頭をもたげてくる。
困ったものである。

それとも、神さまの名はわたしたちがふだん考える「ある」とか「ない」とかを超越した次元の問題なのだろうか?

 

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