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2018年6月17日 (日)

土地と名前(その7)

前回は最後のところで大風呂敷を広げてしまった。
戦線を広げすぎて収拾がつかなくなり、お手上げ状態に陥ってしまった。

われながらみっともない。
だから、戦線拡大前に戻ってもう一度じっくり着実に考え直してみたい。

前回はアダムが動物たちに名づけをしていくシーンが登場した。
その関連で創世記を読み直してみた。

するとまたしても素朴な疑問がわいてきた。

神さまが土くれから人を創造された時のこと。
そのあと創世記は、「そこでヤハウェ神は東のほうエデンに園を設けて」人をそこに住まわせた、と語る。

「エデンの園」という名は、日本のような非キリスト教圏でも人口に膾炙している。
宝塚には同名の介護付き老人ホームもある。

それだけ印象のいい名前、楽園の別名なのだ。

しかし、私がひっかかったのはこの部分である。

「エデン」というのは地名、あるいは場所の名前である。
名前であるからには、「智頭」と同じくいつか、だれかが付けたのだ。

しかし創世記はそんなことお構いなしに、まるで始原からその名が存在するかのように唐突に「エデン」を持ち出してくる。

エデンという地名を神さまが名付けたとは書いていない。
神さまの名づけ以前からその名があったとも書いていない。

このあたり、創世記は知らぬふりをしている。

エデンの園を源として川が流れ出し、4本の川に分流している。
4本の川にはそれぞれビション、ギホン、ヒデケル、ユーフラテスという名がついている。

これまたエデンと同じく、命名のいきさつは何も語られていない。
さも名があるのが当然のようにその名が呼ばれている。

多くの素直な人びとも当然のようにその記述を受け入れている。
なるほど人は最初エデンの園に住んでいたのか、そこからはこれこれという名の4本の川が流れ出していたのか、と。

地上におけるエデンの園をどこに比定するのか、という論議は昔からかまびすしく行われてきた。
やれアルメニア地方だろうとか、やれいまは海底になっているペルシャ湾のどこかであろうとか。

それに比べて、エデンという名や4本の川の名そのものが議論になった形跡はない。
みんなそのあたりはスルーしている。

だれが、どういういきさつでその名を付けたのか、ということにこだわるのは私だけなのだろうか?
そんなことどうでもいいじゃない、もっと大事なことがあるじゃない。

みんなそう言うのだろうか?
要するに私がへそ曲がりなだけなのだろうか?

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