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2018年1月14日 (日)

ことばへの向き合いかた(その4)

空海と言えば、庶民にも開かれた総合教育施設「綜芸種智院」を開いたことでも知られている。
いま、伏見にある種智院大学はその衣鉢を継いでいるとうたっている。

空海が綜芸種智院を設立したことは高校の歴史教科書にも載っている。
しかし、そこではどんな先生がどんな科目をどのように教えていたのか、という具体的な内容になるとほとんどわからない。

その当時の国立、公立学校である大学・国学では貴族たちの子弟を対象に統治の学問である儒教を教えていた。
一方、各地のお寺では僧侶を目指す者を対象に仏教を教えていた。

綜芸種智院はその両方を総合したような学校だったらしい。
生徒の身分制限もなくした。

どんな子供たちが学びに来たのだろう?
女の子もいたのだろうか?
授業料はただだったのだろうか?

調べてみたいことは山ほどあるけれど、残念ながらそのひまがない。

想像するに、仏教の基本経典(設立者が空海だから、密教系の経典?)や論語・孟子などの儒教文献が講じられていたのだと思う。

だからその前提として、読み書きつまり文字教育が行われていたはずだ。
ずっと時代を下って、江戸時代の寺子屋でも「読み書きそろばん」が主要科目だった。

話しことばと違って、書きことばは自然には身につかない。
教育という自覚的なプロセスを経て、はじめてそれを使いこなすことができる。

だから文字を導入した社会ではどこでも学校が作られ教育が行われる。

まず、文字を覚えなければならない。
空海の時代なら漢字だし、江戸時代の寺子屋ならそれに加えてかなも学ぶ。

文字を覚えて先哲の著作を読み上げる。
「子、曰く…」と子供たちの高い声が寺子屋の座敷に響く。

のみならず、お手本を脇に置いて書写をする。
さらに進んで、詩作のまねごとをしたりする。

ざっとこんなところが日本列島で展開された文字教育だった。
いまの小学校や中学校の国語教育も、基本的には空海の時代からの読み書き教育の伝統を受け継いでいる。

ところで、このような伝統を言語教育と呼んでいいだろうか?
たしかに文字教育ではあるけれど、言語教育と呼ぶにふさわしい一般性までには届いていないと思う。

少し前に、印欧語族との対比において日本語話者はことばの存在を当然の前提として受け入れその実用面にだけ関心を持ってきた、とお話をした。

そして、文字はその実用性を保証する実に便利な道具だった。
だから、日本語話者は古代から文字教育に情熱を注いできたのだ。

その分、言語そのものへの総合的考察や分析がおろそかになった憾みはあるが…。

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