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2018年1月21日 (日)

ことばへの向き合いかた(その5)

古来、日本列島の人々は言語に関心がなかった。
だから、聖書とちがって古事記や日本書紀には言語に関するエピソードがない。

関心がない、というのは言い過ぎかもしれない。
しかし、関心があったとしてもそれはもっぱら言語の実用面に限られていた。

だから日本の言語教育はすなわち文字教育だっだ。
わたしたちの言語活動における文字の実用的効能に着目し、「読み書き」能力を身につけ高めることが目的のすべてだった。

社会の中でいいポジションにたどり着くためには「読み書き」能力は必須だったから、生徒たちも余計なことは考えずにひたすら文字学習に精を出した。

西欧の言語教育はやや趣が異なる。

西欧には、古代ギリシャ・ローマに端を発する「自由七科」の伝統がある。
リベラルアーツとも言う。
より良き市民として心得ておくべき必須の教養とされた。

「七科」とは文法学、修辞学、論理学、数学、幾何学、天文学、それに音楽。
このうち文法学、修辞学、論理学の3科目が言語にかかわる科目だ。

文字教育オンリーの日本の言語教育と違って、ずいぶん幅が広い。
言語のさまざまな側面に目配りが利いている。

文字教育も当然なされていたはずだけれど、自由七科には入っていない。
漢字に比べれば、アルファベットははるかに数が少ないから修得するにも手間がかからない。
重要な教育科目に位置付けるまでもない、ということだろうか?

いずれにせよ、言語の実用面だけでなくより総合的にとらえようという気構えを感じる。
このような気構えの中から言語学も生まれてきた。

ことばは、いつ、どのようにして誕生したのだろう?
そもそもことばは人間にとってどのような意味を持つのだろう?
ことばはどのような構造になっているのだろう?
世界中のすべての人々が分かり合えるような共通言語は作れないだろうか?

このようなことばをめぐる疑問や発想も、自由七科のような教育伝統があってこそ生まれてきた。

ひるがえって日本では文字教育に資源を集中してきた。
そのおかげで江戸時代には識字率もずいぶん向上し、その後の急速な近代化のための好条件になったことはたしかだ。

その反面、言語そのものを客観的な思考の対象として取り上げる、という発想や習慣は生まれなかった。
日本語学も本居宣長のような先駆者はあったものの、本格的に動き出したのは西欧の言語学が輸入されてからのことだ。

結局、日本語話者はことばを徹頭徹尾便利な道具としてとらえてきたのだ。
であるからには、その道具を使いこなすことに習熟できればそれでいい。

たしかに言霊信仰はあったかもしれないが、ことばの不思議な力に恐懼するだけでその力の源泉に迫ろうとはしなかった。
言語に対する認識の深まりがなかった。

ことばへの向き合いかたの、東西の違いをつくづく感じる。

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2018年1月14日 (日)

ことばへの向き合いかた(その4)

空海と言えば、庶民にも開かれた総合教育施設「綜芸種智院」を開いたことでも知られている。
いま、伏見にある種智院大学はその衣鉢を継いでいるとうたっている。

空海が綜芸種智院を設立したことは高校の歴史教科書にも載っている。
しかし、そこではどんな先生がどんな科目をどのように教えていたのか、という具体的な内容になるとほとんどわからない。

その当時の国立、公立学校である大学・国学では貴族たちの子弟を対象に統治の学問である儒教を教えていた。
一方、各地のお寺では僧侶を目指す者を対象に仏教を教えていた。

綜芸種智院はその両方を総合したような学校だったらしい。
生徒の身分制限もなくした。

どんな子供たちが学びに来たのだろう?
女の子もいたのだろうか?
授業料はただだったのだろうか?

調べてみたいことは山ほどあるけれど、残念ながらそのひまがない。

想像するに、仏教の基本経典(設立者が空海だから、密教系の経典?)や論語・孟子などの儒教文献が講じられていたのだと思う。

だからその前提として、読み書きつまり文字教育が行われていたはずだ。
ずっと時代を下って、江戸時代の寺子屋でも「読み書きそろばん」が主要科目だった。

話しことばと違って、書きことばは自然には身につかない。
教育という自覚的なプロセスを経て、はじめてそれを使いこなすことができる。

だから文字を導入した社会ではどこでも学校が作られ教育が行われる。

まず、文字を覚えなければならない。
空海の時代なら漢字だし、江戸時代の寺子屋ならそれに加えてかなも学ぶ。

文字を覚えて先哲の著作を読み上げる。
「子、曰く…」と子供たちの高い声が寺子屋の座敷に響く。

のみならず、お手本を脇に置いて書写をする。
さらに進んで、詩作のまねごとをしたりする。

ざっとこんなところが日本列島で展開された文字教育だった。
いまの小学校や中学校の国語教育も、基本的には空海の時代からの読み書き教育の伝統を受け継いでいる。

ところで、このような伝統を言語教育と呼んでいいだろうか?
たしかに文字教育ではあるけれど、言語教育と呼ぶにふさわしい一般性までには届いていないと思う。

少し前に、印欧語族との対比において日本語話者はことばの存在を当然の前提として受け入れその実用面にだけ関心を持ってきた、とお話をした。

そして、文字はその実用性を保証する実に便利な道具だった。
だから、日本語話者は古代から文字教育に情熱を注いできたのだ。

その分、言語そのものへの総合的考察や分析がおろそかになった憾みはあるが…。

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2018年1月 7日 (日)

ことばへの向き合いかた(その3)

日本語話者はことば(この場合は日本語)とべったり密着している。
ことばと多少とも距離を置いて、それを分析的思考の対象にしよう、などという意識は絶えてなかった?

そんなことはあるまい。
本居宣長以前にも、日本語に対して自覚的に向き合った人はいるにちがいない。

前回の記事を読んでそう感じられたかたは多いと思う。

たとえば、いろは歌を作ったという伝説のある弘法大師空海はどうだろう?

ご存じのように、空海は日本に真言密教を招来した。
その真言密教には、特異な言語哲学がある。

少し前、井筒俊彦さんが高野山大学でその言語哲学について語った講義録(「言語哲学としての真言」)を読んだことがある。

むずかしくて、正直よくわからなかった。
ただ、「うーむ、深遠だなあ」という感想を持った。

真言というのは、大日如来のことばだそうだ。
ことばではあるけれど、ふつうの人間が経験的世界で理解できることばじゃない。

わたしたちがふつうに使っていることばの母体に当たるもの、ひとつ次元の上のことば。
前言語または超言語といってもいい。

空海に「声字実相義」という著作がある。
私はまだ読んだことはないけれども、この大日如来のことばについて、そしてそれがわたしたちのふつうのことばに展開してゆくプロセスについて説いているのだそうだ。

つまり空海は、たしかにことばに対して学問的に向き合っていた。
これでも、日本語話者はことばを分析的思考の対象にしようなどという意識は絶えてなかった、と言えるのか!

そうお怒りになるのもわからぬではない。
しかし、空海は例外中の例外ではないだろうか?

何しろふつう20年と定められている留学期間をたった2年で切り上げて、日本に真言密教の神髄をもたらしたのだから。

長安で恵果に出会ってから、真言密教の免許皆伝を受けるまでほんの数ヶ月のことだ。
もちろん、恵果は中国語で真言の教えを伝授した。

空海は語学の天才であり、なんといってもスーパーマンなのだ。
日本人にとっては半神的存在なのだ(お坊さんを指して神さまと呼ぶのは変だけれど)。
その証拠に今もなお高野山の奥の院で入定しておられる。

という次第で、ここで空海を持ち出されても困る。
やはり冒頭の私の断定は、おおむね妥当するのではないだろうか?

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