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2017年10月22日 (日)

言語音の盛衰

外国人学習者のための日本語初級教科書として定番になっている「みんなの日本語」には、はじめに50音図が載っている。

そこでは、ヤ行の「い」と「え」、ワ行の「い」、「う」、「え」がかっこ書きになっている。
ア行の母音「い」、「う」、「え」と同じ音だから、ということだろうか?

ワ行の「を」もア行の母音「お」と同じ音だけれど、字が異なるのでかっこには入っていない。

外国人学習者には必要のないことだけれど、ワ行の「い」、「え」は本来は「ゐ」、「ゑ」のはずだ。
いろは歌でも、「い」のほかに「ゐ」が、「え」のほかに「ゑ」が入っている。

戦後、現代かなづかいが普及して「ゐ」、「ゑ」はほとんど使われるとがないけれども、ワープロソフトにはちゃんと搭載されている。

また、戸籍法でも人名への使用が認められている。
たしかに、知り合いにも「しづゑ」さんというおばあさんがいた。

現代では同じ音だけれど、古くは「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」は異なった言語音だったのだろう。
だから、異なったかなとして今日まで伝わっているのだ。

上代特殊仮名遣いの説によれば、古代の日本語にはもっとたくさんの言語音があったようだ。
母音も現代の5種類でなく、8種類だったという。

言語に使用する音は、一種の資源だから多ければ多いほうが言語活動にとって都合がいいような気がするのだが、違うのだろうか?
しろうと考えでは、言語音の種類が多いほど言語の持つ分節機能や表現の多様性が向上すると思うのだが違うだろうか?

少し前に読んだ筒井康隆さんの「残像に口紅を」でも、だんだん言語音が失われることによって人々の言語活動が不自由になってゆく様子が描かれている。

しかし実際は、古代から現代にかけて日本語の言語音が減少しているのにさしたる混乱も起こらずここまでやってきたのだから、私の考えは間違っているのかもしれない。

たしかに言語の世界には、言語経済という原則もある。
言語音を減らしても特段の不都合が起こらないのなら、使用する資源やエネルギーは少ないほうがよい、それが資源節約につながるのだ。

たとえば「よい景色」というよりも「いい景色」といったほうが、発音のための筋肉の動きは少ない。
つまり発話エネルギーが節約できる。
だからみんな「よい」というよりも「いい」または「ええ」(関西の場合)という。

だれだって、ラクして言語活動をしたいのだ。

むろん言語音は減る一方ではない。
時代の変化に応じて新しく日本語の世界に導入された言語音もある。

たとえば、むかし日本語にはF音がなかった。
だから、明治生まれのおばあさんは「阪神タイガースのファンです」とは言えなかった。
「フアンです」と言った。

50音図は出来上がったものだから、固定的な印象がある。
しかし長い目で見れば、言語音は盛衰を繰り返している。

これからどんな音が衰退し、どんな音が勃興してくるだろうか?

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コメント

私は以前から感じていたんですが、関西弁は東京弁(標
準語)に比べてずいぶん喋りやすいと思います。私は18
才までは関東(小田原)、19~31才を大阪で暮らし、結
婚と同時に関東(横浜)に戻り現在もそうです。
しおかぜさんの仰る「言語経済」的にも関西弁の方が言
語音が少ない例が多いと思います。
標準語それなら⇒関西弁ほなら、そうです⇒そうや、ほ
んとうに⇒ほんまに、だめでしょう⇒だめやろ、行こう
か⇒行こか、等々あげたら幾つもあります。本当は関東
でも田舎の言葉なら喋りやすいのです。家の中でも標準
語でやってたら肩が凝ってまったく和まないので、田舎
言葉で喋っています(だからよ、行くべよ、そうじゃん
かよ、そうだべ、そんなこたねーよ‥‥)。これは「言語
経済」的と言うより、子供の頃から馴染んでいるからだ
と思いますが。
とにかく標準語というのは使い勝手が悪いものですね。
います。

投稿: 平戸皆空 | 2017年10月23日 (月) 18時50分

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