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2017年9月 3日 (日)

人間の音声

筒井康隆さんの「残像に口紅を」を読んで、あらためて言語音の意義に関心が向かった。

世の中にはさまざまな音が存在する。
風の音、小鳥の鳴き声、爆弾が炸裂するときの轟音、小川のせせらぎ…。

わたしたちは、それらの音をたとえば擬音語などで表現する。
「彼はバタンといきおいよくドアを閉めた」などと言う。

しかし、ドアがいきおいよく閉まるときに発生するあの音は本当に「バタン」なのか?
実際に聞いてみればわかることだけれど、日本語話者が発音する「バタン」とドアが閉まるときの物理音は明らかに同じではない。
近似音ではあるけれど。

本当は異なっているにもかかわらず、同じ音として処理する。
正確な認識を犠牲にして。

そんな巧妙なすり替えが、話し手と聞き手の間に成立している。
言ってみれば、暗黙の了解である。

自然音の再生という場合だけでなく、このような巧妙なすり替え、暗黙の了解と言える現象が言語コミュニケーションの世界には数多く潜んでいるように思う。
このことはずっと以前にもお話ししたような気がするけれど…。

世の中には実にさまざまな音が存在する。
しかし人間の発声器官が出せる音は限られている。
そのギャップがこのようなすり替え、暗黒の了解を生み出しているのだろうか?

机の上にボールペンを落とす。
そのときに発生する音をことばで表現してください。

そんな課題を教室で生徒たちに出したらおもしろい。
私が生徒なら「コトリ」と表現するかもしれない。
あなたなら?

日本の教室だけでなく、中国の教室ではどうだろう?
モロッコやバスク地方の教室ではどんなふうに表記されるだろう?
妄想はどんどん広がってゆく。

いずれにせよ、人間が正確に物理音を再生することは不可能だ。
そもそも人間はそんなことをしなくていい。

「コトリ」であれ「カチャン」であれ、その音を表現しようという人間の意志が尊い。
そして、思いもかけない擬音語が飛び出すかもしれない。
そこに人間の創造性がある。

宮沢賢治はその方面で創造力を発揮した天才だった。

限りはあるけれども、人間もさまざまな音を出すことができる。
たとえば咳やくしゃみ、いびき、寝息…。
これらは動物たちも出すことができる。

そして笑い声や泣き声。
これは動物には無理、人間であることを証明する音声だ。

不意に恐ろしいものに出会った時の「きゃー」という絶叫。
ひいきの選手がホームランを打った時に思わず飛び出す「わぁー」という歓声。
思案をする時に自然に口をついて出る「うーむ」というためいきのような音声…。

思えば人間もずいぶん多彩な前言語的音声を発することができる。
前言語的レベルだから、これらの音声はそれぞれの言語圏を超えて共通しているのだろうか?

つまり、私は真夜中のトイレで不意におばけと出会ったとすれば、「ギャー」という声を出すと思うけれど、たとえばフランス人が同じシチュエーションに直面した時、同じような声を上げるかどうか、という問題である。

このような問題を学術的に研究した仕事を私は寡聞にして知らないのだけれど、もしご存知の方がいらっしゃればぜひともご教示を賜りたいと思う。

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