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2017年9月30日 (土)

かるたと順序

読み手が文を読み上げそれに対応した札を取り合うゲーム、という点では百人一首もかるたの一種だと思う。

小さな子にとっては百人一首はやや難しいので、「犬も歩けば棒にあたる」などのようなやさしいことわざを読み上げ、その様子をあらわした絵と「い」の文字を配した札を取り合う、というやり方に変形されている。

子供たちにとって、遊びながら文字を学ぶことができるのもいいところだ。

読み上げるべき短文と絵や文字の組み合わせには無数のバリエーションがある。
子供たちの年齢や興味、シチュエーションに応じてそれにふさわしいセットが選ばれる。

このようなかるたは普通「いろはかるた」と呼ばれている。

「あいうえおかるた」あるいは「かななるた」でもいいと思うのだけれど、なぜかかるたの世界では「いろは」が大きな顔をしている。

辞書や名簿の順序など多くの分野では五十音順がいろは順を圧倒しているのに、かるたの世界ではいろはがいまだ健在だ。

なぜだろう?
不思議な現象だと思う。

いろは順は、そもそもそれ自体、歌になっているから文学的だ。
それが遊びの世界では好まれるのかもしれない。

そこへ行くと、「あいうえお」は分析的だ。
母音と子音の結合関係が一目瞭然である。
どこか元素の周期律表を連想させるところがある。

つまり科学的、理科的なのだ。
そんなところが遊びの世界では冷たい印象を与え敬遠されるのだろう。

かるたはポルトガル語のカルタ、英語のカードから来た外来語だという。
ならば、西欧にも音声言語と文字言語を組み合わせたカードゲームがあるのだろうか?

西欧のカードゲームと言えば、ポーカーやブリッジなどもっぱら数字と図形の組み合わせをテーマにしたゲームばかりが思い浮かぶ。

たとえば、Aの文字から始まる短い詩やことわざを読み上げて、Aのカードを取り合うゲームなんてあるのだろうか?

百人一首のように、音声言語とりわけ詩と文字との組み合わせをテーマにしたカードゲームは世界でも稀有なのではないかと思うのだが…。  

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2017年9月23日 (土)

百人一首の順序

百人一首という遊びがある。
藤原定家はゲームのために撰したのではないから、遊びというより歌集といったほうがいいかもしれないが…。

わが家でも、子供が小さい頃は正月によく遊んだものだ。

この百人一首にも歌の配列に順序がある。
おおよそ時代順に並べられているという。

一番歌は天智天皇。
秋の田の 刈穂の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ

そして、百番歌は順徳天皇。
ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

偶然だろうけれど、百人一首も「あ」から始まっている。

たわむれに百首の最初の一音(一文字)は何だろうと統計を取ってみた。

つまり、一番歌は「あ」、百番歌は「も」である。

この要領で数えてみるとトップは「あ」だった。
百首のうち、17首が「あ」の音で始まっている。

第2位が「な」の8首だから、ぶっちぎりのトップである。

この事実は何を意味しているのだろう?
自然の風物、人事、情緒を表す日本語の語彙には「あ」音で始まることばが多い、と結論づけていいのだろうか?

しかし即席、お手軽な統計調査だから、これだけのデータからせっかちに結論を引き出すのは慎んでおこう。

ただ、最初の一音だけでなく歌の中ほどまで探っていっても、「あ」で始まる語彙は多いなという印象はある。

たとえば、「あま」、「芦」などの名詞。
「あじきなく」、「明けやらで」、「あらで」、「あはれ」のような用言。

反対に、「あ」が語中、語末に現れる例はほとんどない。
「あ」が語頭に現れることが多い、というのは「あ」という音の特性によるのだろうか?

言語と精神文化は深く結びついているから、両者の関係をテーマにした研究は無数にある。

しかし、個々の言語音と文化との関係についての研究はあまりないのではないか?

たとえば、「あ」という日本語の言語音と日本文化はどのような関係にあるのか?
納得のゆく答えは聞いたことがない。

上のようなミニ調査は、コンピュータにやらせれば手っ取り早い。
歌の最初の一音だけでなく、すべての音をしらみつぶしに調べさせる。

そうすれば、百人一首の中のすべての音の出現頻度など、あっという間にわかる。
語頭、語中、語末のどこに位置しているかもわかる。

それで得られたデータと現代文について同じ操作をした場合に得られるデータを比較してみるのもおもしろい。
言語音の本質に迫る知見が得られるかもしれない。

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2017年9月17日 (日)

言語における順序

前回は言語における順序、ということを考えてみた。
つまり、音の順序あるいは文字の順序である。

言語の世界に「順序」という秩序がなければ、たぶん社会は成り立たない。
辞書や名簿が作れない。

日本語の場合、その順序はあいうえお順、あるいはイロハ順である。
これは言語音の順序であると同時に、文字の順序でもある。
かなを発明することによって、この順序が可能になった。

英語の場合は、abcという順序がある。
ただし、これは文字の順序ではあるけれども音の順序ではない。

ローマ字は表音文字と言われるけれども、文字単体は表音文字ではなく音素文字である。
物理学でいう分子ではなく、原子なのだ。

原子が複数結合して分子となりはじめて物質の特性を表すのと同じように、複数の文字が結合してはじめて音を表すことができる。

ローマ字にしろかなにしろ文字数が少ないから、だれでもその順序はおぼえることができる。
イロハは短歌にして覚え、あいうえおは図にして覚え、abcはモーツアルトのメロディにのせておぼえている。

ローマ字は音の順序ではなく文字の順序を表しているにすぎないけれども、とにかく順序があることによって辞書や名簿を作ることができる。

では、中国語はどうだろう?
漢字という文字には順序があるのだろうか?

漢和辞典のように画数の少ない順に並べていく?
可能かもしれないが、何万とある漢字の順序は覚えられまい。

前回もお話ししたように、現在の中国語辞典ではピンインの順序になっているようだ。
つまりローマ字の順序を借りている。

それでも、ピンインが導入される以前はどうしていたのか?
ピンインを知らない人はどうするのか?

という疑問は残る。

また、韓国語ではどうだろう?
ハングルの各パーツの間には、どんな順序があるのだろう。

パーツを組み合わせたハングル単体文字は、かなのように音節を表すことができるのか?
それともローマ字のように、音素文字に過ぎないのか?

ウィキペディアによれば、アラビア文字には伝統的な配列順があるという。
とすれば、その順序に従って辞書や名簿は作られるのだろう。

でも、その配列順を見ると漢字のように画数順というわけではなさそうだ。
必ずしも簡単な文字から複雑な文字へと並べてはいない。

なるほど多くの言語で、文字の順序、場合によっては日本語のように音の順序が存在することが分かった。
じゃあ、その順序はどうやって成立したかが次の問題になる。

つまりローマ字の場合なら、なぜacbでなくabcなのか、という問題である。
どのような経過をたどってaで始まりzで終わる順序が定まったのだろう?

なぜ、「あえいおう」でなく「あいうえお」なのか?
なぜ、ア行の次にサ行でなくカ行がくるのか?

という問題である。

このような素朴な疑問に答えてくれる本は読んだことがない。
話はみなこれらの順序が当たり前という前提で始まっている。

いろは歌は空海が作った、という伝説がある。
日本語の言語音を各1音ずつ使って、意味のある短歌を作るなどという芸当は空海のような天才にしかできない、という思いから生まれた伝説だ。

明治36年に万朝報が新しいいろは歌を募集したところ、鳥啼歌というのが1等に選ばれたとのことだ。
いろはと同じように重複なく1文字(1音)づつ使って短歌ができたのだ。
しかもイロハと違って「ん」まで使っている。

鳥啼歌は今はなぜかほとんど知られていないけれど、世の中にはすごい人がいるものだ。

現在なら、AIがもうひとつの「いろは歌」を創作できるかもしれない。
それはどんな順序になるのだろう?
今から楽しみだ。

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2017年9月10日 (日)

言語音の順序

考えてみると、人間はずいぶん多彩な前言語的音声を出すことができるものだなあ。
前回の記事を書いていて、われながらつくづく感心した次第だ。

わたしたちが日ごろ用いている言語音までは、この段階から紙一重、だろうか?
人間の言語は小鳥のさえずりから生まれた、という奇想天外な説をなす人もいる。

いつかもお話ししたように、日本語の言語音は世界でも最少の部類に属する。
音節数にして100ちょっとだ。

むろん日本語話者はこれ以外の言語音を出せないわけではない。
その証拠にちゃんと英語もしゃべれる。
英語には日本語では使わない言語音がたくさんあるのだ。

にもかかわらず、日本語話者は100ちょっとの言語音でやりくりしてきた。

よく言われることだけれど、言語音の種類が少ないことで日本語には同音異義語が多いというデメリットがある。
しかし、この点を除けば少ない言語音で豊かな言語表現ができるというのは、言語経済の理にかなったことだ。

筒井康隆さんの「残像に口紅を」も言語音が少ないという日本語の特徴があってはじめて可能になった小説だ。

日本語はその少ない言語音を五十音図という形で整理してきた。
かなという表音文字ができたことで五十音図が可能になった。

つくづくよく出来たマトリクスだと思う。
日本語の言語音の体系が一目瞭然だ.

五十音図のアイデアはインドや中国からもたらされたものらしいけれども、世界の諸言語でこれに類するものがあるのだろうか?
少なくとの英語の言語音を五十音図の方式では整理することはできない。

ところで、多数の語彙がある場合、これを一定の順序で配列しなければならない場合がある。
たとえば辞書を作る場合がこれにあたる。
何らかの順序がなければ、そもそも辞書を作ることができない。

それから多数の人間で構成される集団の名簿を作る場合もこれにあたる。

こんな時に五十音順が活躍する。
本当にありがたい。

五十音順のほかに、いろは順というのもある。
この順序による配列もむかしは結構使われていたようだ。

たわむれに五十音順の名簿をいろは順に組み替えてみるのもおもしろい。
新鮮な印象が感じられるかもしれない。

ラテン文字を採用している言語圏には、アルファベット順がある。
辞書も名簿もこの順で配列されている。

ただし、アルファベット順は文字の順序であり、音の順序ではない。
だから、綴りがわからないと辞書を引くことができない。

五十音順やいろは順は文字の順序であるとともに、音の順序でもある。

では、中国語の場合はどのような配列順になっているのだろう。
手元にある中日辞書はピンインの配列になっている。
つまり、アルファベット順になっている。

しかし、ピンインによる表記がわからない場合、あるいはピンインが導入される以前はどうしていたのだろう?
ちょっと気になる。

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2017年9月 3日 (日)

人間の音声

筒井康隆さんの「残像に口紅を」を読んで、あらためて言語音の意義に関心が向かった。

世の中にはさまざまな音が存在する。
風の音、小鳥の鳴き声、爆弾が炸裂するときの轟音、小川のせせらぎ…。

わたしたちは、それらの音をたとえば擬音語などで表現する。
「彼はバタンといきおいよくドアを閉めた」などと言う。

しかし、ドアがいきおいよく閉まるときに発生するあの音は本当に「バタン」なのか?
実際に聞いてみればわかることだけれど、日本語話者が発音する「バタン」とドアが閉まるときの物理音は明らかに同じではない。
近似音ではあるけれど。

本当は異なっているにもかかわらず、同じ音として処理する。
正確な認識を犠牲にして。

そんな巧妙なすり替えが、話し手と聞き手の間に成立している。
言ってみれば、暗黙の了解である。

自然音の再生という場合だけでなく、このような巧妙なすり替え、暗黙の了解と言える現象が言語コミュニケーションの世界には数多く潜んでいるように思う。
このことはずっと以前にもお話ししたような気がするけれど…。

世の中には実にさまざまな音が存在する。
しかし人間の発声器官が出せる音は限られている。
そのギャップがこのようなすり替え、暗黒の了解を生み出しているのだろうか?

机の上にボールペンを落とす。
そのときに発生する音をことばで表現してください。

そんな課題を教室で生徒たちに出したらおもしろい。
私が生徒なら「コトリ」と表現するかもしれない。
あなたなら?

日本の教室だけでなく、中国の教室ではどうだろう?
モロッコやバスク地方の教室ではどんなふうに表記されるだろう?
妄想はどんどん広がってゆく。

いずれにせよ、人間が正確に物理音を再生することは不可能だ。
そもそも人間はそんなことをしなくていい。

「コトリ」であれ「カチャン」であれ、その音を表現しようという人間の意志が尊い。
そして、思いもかけない擬音語が飛び出すかもしれない。
そこに人間の創造性がある。

宮沢賢治はその方面で創造力を発揮した天才だった。

限りはあるけれども、人間もさまざまな音を出すことができる。
たとえば咳やくしゃみ、いびき、寝息…。
これらは動物たちも出すことができる。

そして笑い声や泣き声。
これは動物には無理、人間であることを証明する音声だ。

不意に恐ろしいものに出会った時の「きゃー」という絶叫。
ひいきの選手がホームランを打った時に思わず飛び出す「わぁー」という歓声。
思案をする時に自然に口をついて出る「うーむ」というためいきのような音声…。

思えば人間もずいぶん多彩な前言語的音声を発することができる。
前言語的レベルだから、これらの音声はそれぞれの言語圏を超えて共通しているのだろうか?

つまり、私は真夜中のトイレで不意におばけと出会ったとすれば、「ギャー」という声を出すと思うけれど、たとえばフランス人が同じシチュエーションに直面した時、同じような声を上げるかどうか、という問題である。

このような問題を学術的に研究した仕事を私は寡聞にして知らないのだけれど、もしご存知の方がいらっしゃればぜひともご教示を賜りたいと思う。

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