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2017年7月 2日 (日)

1音節語の関西方言(その2)

日本語の五十音図の中で、もっとも重要な音または文字は「な」である。

前回はそんなへんな宣言をした。
その理由として、意味上、音声上の事実をいくつか挙げたけれども、われながらこじつけめいているような気もする。
だから、この宣言にはそれほどこだわらない。

人によっては、図の劈頭に位置する「あ」がもっとも重要である、とお考えかもしれない。
そもそも宣言自体ナンセンスだから、奇説、珍説がいろいろあっていい。
そのほうがおもしろい。

ただ、前回もお話ししたように、「な=名」だけでなく「ち=血}、「て=手」、「め=目」、「た=田」、「き=木」など、1音節の日本語は人間存在にきわめて密着した重要かつ基礎的な語が多い、という事実にはみなさん納得していただけることと思う。

世界の諸語でも人を指すことばつまり人称代名詞はたいてい1音節語である。
1音節語は人間存在に直結している、というのは人類共通の事実だと思う。

系統発生的な視点から考えても、自然の成り行きとして人類の言語は1音節語から始まった、と言ってそれほど見当はずれではあるまい。

ただ、それほど重要な役割を果たしている1音節語だけれども、音声言語の中ではその位置が不安定である、という難点がある。

つまり、短かすぎて寸足らずの印象があるのだ。
尻切れトンボのように、ことばの流れの中でおさまりが悪いのだ。 

「な」とほとんど同じ意味の3音節語「なまえ」がよく使われるのも、この難点を克服するための知恵なのかもしれない。

私の地元、関西の方言では音を伸ばすという方法でこの難点を克服しようとしている。

つまり、「め=目」が「めえ」になり、「て=手」が「てえ」になり「は=歯」が「はあ」になる、というやり方である。

この現象を1モーラが伸びて2モーラ化すると考えるか、語尾に母音が付加されて2音節化すると考えるか、解釈の分かれるところだけれども、いずれにせよ関西方言の大きな特徴である。

そして、さらに興味深いことは、このように音が伸びるとき「目=めえ」が低高の上昇調になるのに対して、「歯=はあ」は高低の下降調になることだ。

もし「はあ」が「目」と同じように上昇調になれば、「はあ?」と聞き返す際の間投詞になってしまう。
つまり意味が異なることになり、中国語における声調と同じ効果を果たしていることになる。

関西は関東に比べて中国に近い分、声調言語の特徴が浸透したのだろうか?

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