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2017年6月11日 (日)

「な」と「なまえ」

3週続けて糸とことばの共通性についてお話しした。

けれども、その根拠としたのは漢字における共通性だった。
つまり、糸、紐、絆、繋ぐ、結ぶ、紡ぐ、織る、編む、綴る、繙くなどことばにかかわる文字にはみんな「糸」が含まれている、という事実から出発したのだった。

しかしこれは、漢字文化に支配された発想だったかもしれないといま反省している。

漢字から自由になった視点で考えてみればどうか?
いと、ひも、きずな、つなぐ、むすぶ、つむぐ、おる、あむ、つづる、ひもとくなどの和語に何か共通性が見いだされるだろうか。
そして、そこにことばとの何らかのかかわりが発見できるだろうか?

うーむ。
そのように突っ込まれるとつらい。

日本語の音声上のレベルでは、糸とことばの共通性を見出すことは容易ではない。
英語なら、「text」と「textile」、「texture」との共通性は文字を離れても維持されるのだが…。

しかしたとえ証拠は見つからなくても、ことばが「いと」と同じように何かと何か、だれかとだれかを「つなぐ」ためにある、ということは日本語でも変わらないと思う。

そして、前々々回もお話ししたように「いと」があるだけではだめなのだ。
糸が何かと何か、だれかとだれかを繋ぎとめるためのよりどころがなくては。

前々々回はそれを水面に頭を出した杭にたとえた。
その実体は名前である。
だから、映画の主人公たちは「君の名は?」と呼び合ったのだ。

さて、日本語では「な」とも言い「なまえ」とも言う。

「名」と「名前」は、辞書で確かめてもほぼ同じ意味だ。
どうして同じ実体を指すのに二つの語彙が存在するのだろう?

一つで間に合うのに、二つもあるとは不経済で紛らわしいのではないか?
たしかに、多くの用例を思い浮かべてみると「な」は詩的、「なまえ」は散文的なニュアンスを感じることができる。
だから、映画のタイトルとしては「君の名前は。」よりも「君の名は。」のほうがふさわしいのかもしれない。

しかしこのことは個人的な感受性の問題で普遍妥当性があるとは主張できない。

「な」という一音節の語彙よりも、「なまえ」という三音節の語のほうがコミュニケーション上の正確性は高いかもしれない。
そのために「な」だけでなく「なまえ」も導入された、という客観的事実に基づいた説明のほうが説得力がありそうだ。

ともあれ、日本語話者は「な」と「なまえ」を微妙に使い分けている。

映画では「な」と「なまえ」を使い分けていたか?
使い分けていたとすれば、その基準は何か?

残念ながら、映画館で観ていたときはそのへんは見過ごして(聞き過ごして?)いた。

「君の名は。」は7月26日にブルーレイ&DVDが発売されるらしい。
さっそく買いに走らなければ。

 

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