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2017年6月25日 (日)

「な」と「なまえ」(その3)

「な」は伝統ある由緒正しい語である。
前回はそんなお話をした。

そもそも1音節の語は、系統発生的に考えてもその起源はきわめて古い。
「ち=血」、「き=木」、「て=手}、「め=目」、「た=田}のように。

起源が古いだけでなく、人間にとって根源的な意味を持つ語が多い。
その分、多義的でもある。

日本語だけではなく、世界の諸語でも同じような傾向にあると思う。
英語の「name」や「I」、「you」が1音節なのもそれを裏付けている。

「な」も例外ではない。
広辞苑によれば、「な」は人称代名詞としての意味も持っている。

まず、「な」は自分を指す一人称である。
そして転じて相手を指す二人称にもなる。
「なれ」や「なんじ」の原型だ。

この事実だけでも、「な」の根源的な性格が明らかだ。

また、「な」は文字の意味も持っている。
漢字のことを「真名」といい、漢字を変形してやさしくした文字を「かな」という。

そもそもわたしたちの生存に欠かせない食べ物のことも「な」なのだ。
食卓に上る魚は「な=魚}だし、食用の葉物野菜も「な=菜」である。
そして、酒、飯に添えて食べるおかずのことも「な=肴」という。

ふりかえってみて、「な」という語がいかに多義的であり、根源的であるかがよくわかる。
しかし、多義的と言ってもそれぞれの意味が独立して生まれたとは思えない。

「な」の1語である以上、どこかに意味の源がある。
そこから、泉の水があふれるようにさまざまな方向に意味があふれだしたのだろう。

では、「な」の意味の源泉は何だろう?

まず、「な」は人を指す。
「あなた」を指し、「わたし」を指す。

つまり、他から識別された個としての人間存在を指す。
そして、その人間存在を支ええるのが、食べ物としての「な」だ。

ひとりの人間とそのいのち。
これが「な」の根源的な意味だと思う。

そう考えれば、日本語の五十音図の中で「な」がいちばん重要な音であり文字であると宣言してもおかしくない。

日本語のな行音やま行音は鼻音と言われていて、聞く者に柔らかい印象を与えるため女の子の名前によく取り入れられている。
また、赤ちゃんのように発声機能が未発達な人間にも発音しやすい。

そんな音声上の特性が、「な」を最重要音に押し上げたのかもしれない。

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2017年6月18日 (日)

「な」と「なまえ」(その2)

「な」ひとつで用が足りるのに、なぜわざわざ「なまえ」という語が派生したのだろう?
素朴と言えばずいぶん素朴な疑問だけれど、いったん気になりだすとどうも落ち着かない。

辞書で比較すると「な」はくわしく語義が説明されているけれど、「なまえ」には通り一遍の説明しかない。
古語辞典を繙いても「な」は詳しく載っているけれども、「なまえ」はそもそも項目がない。
だから、「なまえ」は「な」から派生した語であることは間違いない。

「なまえ」は「な」に「まえ」を接続して生じた語である。

しかし、いつごろどのような必要のもとに成立した語なのか?
また、後続する「まえ」にはどのような働きがあるのか?
男前とか江戸前における「まえ」と機能を同じくするのか?

手元にある辞書はこの疑問に答えてくれない。
どなたかご教示いただけないだろうか?

前回もお話ししたように、「な」と「なまえ」は意味はほぼ同じだけれど、そのニュアンスは微妙に異なる。

初対面の人に向かって、「お名前は?」と訊くことはあっても「お名は?」とは言いにくい。
なんだか尻切れトンボみたいで落ち着かない。

逆に、「無礼者、名を名乗れ!」と恫喝することはできても、「無礼者、名前を名乗れ!」では間延びしてしまって迫力がない。

昔も今も映画のタイトルは「君の名は」が好ましい。
「君の名前は」では散文的過ぎてよくない。

「名は体を表す」とか「名もない人びと」など「な」を用いた表現はずいぶん多いけれど、「なまえ」を用いる表現はあまりない。
せいぜい「名前負け」くらいだろうか?

意味が同じなら「名前は体を表す」とか「名前もない人びと」と言ってもいい理屈だけれど、そんな表現はまず使わない。

やはり違いは音節数にあるのかもしれない。
使い勝手としては、1音節の「な」のほうがまさっているのだろう。

伝統と由緒のある1音節の「な」。
3音節とやや煩わしいけれど、正確性の点で勝る新参者の「なまえ」。

比較論としては、こんなところに落ち着くのだろう。

ところで、英語では「な」も「なまえ」も「name」の1語ですませている。
「な」と同じく1音節である。

日本語におけるような歴史や事情はなかったのだろうか?
「な」と「なまえ」を区別している語がほかにもあるのだろうか?

これまたみなさんのご教示をたまわりたい。

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2017年6月11日 (日)

「な」と「なまえ」

3週続けて糸とことばの共通性についてお話しした。

けれども、その根拠としたのは漢字における共通性だった。
つまり、糸、紐、絆、繋ぐ、結ぶ、紡ぐ、織る、編む、綴る、繙くなどことばにかかわる文字にはみんな「糸」が含まれている、という事実から出発したのだった。

しかしこれは、漢字文化に支配された発想だったかもしれないといま反省している。

漢字から自由になった視点で考えてみればどうか?
いと、ひも、きずな、つなぐ、むすぶ、つむぐ、おる、あむ、つづる、ひもとくなどの和語に何か共通性が見いだされるだろうか。
そして、そこにことばとの何らかのかかわりが発見できるだろうか?

うーむ。
そのように突っ込まれるとつらい。

日本語の音声上のレベルでは、糸とことばの共通性を見出すことは容易ではない。
英語なら、「text」と「textile」、「texture」との共通性は文字を離れても維持されるのだが…。

しかしたとえ証拠は見つからなくても、ことばが「いと」と同じように何かと何か、だれかとだれかを「つなぐ」ためにある、ということは日本語でも変わらないと思う。

そして、前々々回もお話ししたように「いと」があるだけではだめなのだ。
糸が何かと何か、だれかとだれかを繋ぎとめるためのよりどころがなくては。

前々々回はそれを水面に頭を出した杭にたとえた。
その実体は名前である。
だから、映画の主人公たちは「君の名は?」と呼び合ったのだ。

さて、日本語では「な」とも言い「なまえ」とも言う。

「名」と「名前」は、辞書で確かめてもほぼ同じ意味だ。
どうして同じ実体を指すのに二つの語彙が存在するのだろう?

一つで間に合うのに、二つもあるとは不経済で紛らわしいのではないか?
たしかに、多くの用例を思い浮かべてみると「な」は詩的、「なまえ」は散文的なニュアンスを感じることができる。
だから、映画のタイトルとしては「君の名前は。」よりも「君の名は。」のほうがふさわしいのかもしれない。

しかしこのことは個人的な感受性の問題で普遍妥当性があるとは主張できない。

「な」という一音節の語彙よりも、「なまえ」という三音節の語のほうがコミュニケーション上の正確性は高いかもしれない。
そのために「な」だけでなく「なまえ」も導入された、という客観的事実に基づいた説明のほうが説得力がありそうだ。

ともあれ、日本語話者は「な」と「なまえ」を微妙に使い分けている。

映画では「な」と「なまえ」を使い分けていたか?
使い分けていたとすれば、その基準は何か?

残念ながら、映画館で観ていたときはそのへんは見過ごして(聞き過ごして?)いた。

「君の名は。」は7月26日にブルーレイ&DVDが発売されるらしい。
さっそく買いに走らなければ。

 

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2017年6月 4日 (日)

糸とことば(その3)

あなたは子供のころ、糸電話で遊ばなかっただろうか?
はるか昔のことだからよく覚えていないけれど、たしかこんなのだったと思う。

細い糸の両端に紙の筒を結びつける。
結びつける方法は次のとおりである。

比較的丈夫な紙を円筒の直径に合わせて丸く切り取る。
その真ん中に針で糸を通し、抜けないように結び目を作る。

そしてその糸のついた丸い紙を円筒の一方に貼り付ける。
もう一方は口や耳を当てるところなので、何もしない。
糸のもう一方の端も同じようにする。

これで糸電話の出来上がり!

二人が糸をぴんと張って、一人が円筒に口をつけもう一人が耳をつける。
そして一人が何かをしゃべると、もう一人の耳にそのことばがやわらかく伝わるのだ。
糸が緩んでいると、うまく伝わらない。

コミュニケーションにおける糸とことばの役割が、みごとに象徴されている遊びだった。

前々回は、「君の名は。」を語って、多くの糸へんのことばが登場した。

まず糸。
それから、絆、結び、紐、紡ぐ、繋がり…。
そして、織る、編む。

前回はこれくらいを羅列して、それらがみなことばと関わりがあることをあらためて思い知った。
たとえば、セーターを編むだけじゃなく、文学全集も編むものなのだ。

そういえば、「ひもとく」という動詞もあった。
書物のページをめくることを「ひもとく」という。

漢字表記をするなら、「繙く」である。
やはり、糸へんなのだ。

もちろん、「紐解く」でもあるだろう。
巻物の形をしている書物を読むためには、結んでいる紐を解かなければ読むことができない。

読むだけでなく、書くほうにも糸へんの動詞がある。
「綴る」ということばがそれだ。

ほころびを綴るとも言うし、文章を綴るとも言う
この文字も糸へんでできている。

人は文を綴り、あるいはテキストを織り、それを書物にする。
そして、別の人がその書物を繙く…。

人のことばにかかわる所作の背後には必ずと言っていいほど、「糸」の影がある。

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