« 季節とことば(その2) | トップページ | 和語と漢語(その7) »

2017年5月 7日 (日)

和語と漢語(その6)

年のせいか、AKB48の歌についていけない。

聞いていて、違和感をおぼえる。
そして内省してみると、その違和感は歌詞からきているようだ。

人生、真実、正面、感情、突然…。
そんな生硬な漢語があふれている。

どうもリズムやアクションとマッチしていないような気がする。
現代の、特に若い人たちの思いを表現するには、和語だけでは追いつかないのだろうか?

当然かもしれないけれど、私には昔の歌のほうが心になじむ。
たとえば…。

なんでもいいけれど、いまの季節にふさわしい歌として「夏は来ぬ」を取り上げてみたい。

作詞は佐佐木信綱。
発表は明治29年。

卯の花の 匂う垣根に
ほととぎす 早も来鳴きて
しのびね洩らす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ

橘の 薫るのきばの
窓近く ほたる飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ

おうち散る 川べの宿の
かど遠く くいな声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月闇 ほたる飛びかい
くいな鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ

歌詞全体を引用したけれど、漢語含有率は0%である。
他の文部省唱歌の類も漢語含有率はきわめて低い。

佐佐木信綱は明治の人だから、漢文の素養はいまのわたしたちよりはるかに深かったに違いない。
その彼にして、「夏は来ぬ」の漢語含有率は0%なのだ。

きっと私と同じように、日本の歌には漢語はなじまないと感じていたのだろう。

なじまない理由は何か?

AKBの歌に登場する「人生」、「真実」、「正面」、「感情」、「突然」などを発音してみるとわかるように、長音、拗音、撥音など和語にはない特殊音が多く含まれている。

この音声要素が違和感の正体だと思う。

ずいぶん昔にお話ししたと思うけれど、歌は言語表現の原初的形態だ。
言語が誕生して間もないころ、わたしたちは歌うように話していた。

だから、今もなお日本の歌には漢語伝来以前の和語がなじむのだろう。

とはいえ、AKBが多くの若い人たちに受け入れられているところを見ると、かれらは私のような違和感は感じていないようだ。

やはり、言語感覚にもジェネレーションギャップがあるのだろう。
それはいたし方ないとして、問題はこれから先、日本語話者の言語感覚はどこへ行くのか、ということだ。

|

« 季節とことば(その2) | トップページ | 和語と漢語(その7) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 季節とことば(その2) | トップページ | 和語と漢語(その7) »