« ナショナリズムと色彩 | トップページ | 季節とことば »

2017年4月16日 (日)

季節と色

前々回は、「青年」と並んで「青春」という語にもふれた。
四神思想に基づけばたしかに春は青なんだろうけれど、わたしたちの実感からすれば「緑春」と言いたいところだ。
しかし、青春という語があまりにも定着しすぎているために、いまさら「緑春」と言い換えることもできない。
四神思想によれば、青春のあとに朱夏、白秋、玄冬と続く。
夏は太陽の季節だから、朱夏という表現はよくわかる。
玄冬はどうだろう?
冬は色に乏しく、日照時間も短く夜の帳が早く下りる、という点で黒で象徴するのはわからぬでもない。
白秋と言えば、北原白秋を思い出す。
秋霜烈日、晩秋におく霜の白さで秋を象徴させたのだろうか?
しかし、わたしたちの実感からすれば、錦秋という語のほうが一層しっくりくる。
錦自体は色の名前ではないけれど、錦と言えばわたしたちは赤や金の紅葉が織りなす絢爛たる色模様を連想する。
それが秋のイメージに直結する。
念のため明解国語辞典を開いてみたところ、「錦秋」はなく「錦繍」しか出ていない。
あわてて広辞苑を引いてみると、こちらには「錦秋」が出ていてホッとした。
広辞苑では、「紅葉が錦のように美しくなる秋」とある。
うーむ。
どうやら、本来は特に季節とはかかわりのない「錦繍」であったようだ。
それをどうしても秋の形容に使いたい人がいて、同音であることを幸いに「繍」を「秋」に入れ替えたのが真相であるらしい。
いまでは、「きんしゅう」と聞けば、ほとんどの人が「錦秋」を思い浮かべる。
そもそも私など「錦繍」という語の存在をいまのいままで知らなかった。
ワープロでも「錦繍」は変換候補に出てこない。
「錦繍」としては、庇を貸して母屋を乗っ取られた格好だ。
少し横道にそれてしまった。
秋を白で象徴するのはいかがなものか、というお話だった。
雪の季節、ということを考えれば「白秋」よりも「白冬」のほうがふさわしいかもしれない。
特に雪国の人なら、一層その感じが強いと思う。
いずれにしても、季節と色の結びつきを理屈で理解しようというのは詮ない試みだと思う。
詩的、宗教的な視点から解読すべきものだろう。
しかし、悲しいかな私にはその素養が欠けている。
ともあれ、季節や方位と色、それも基本4色名を結びつける考え方は、四神思想が及ぶ漢字文化圏だけだろうか?
それとも、他の言語圏でも類似の現象がみられるのだろうか?
もしそうだとすれば、人間の思考に及ぼす色覚の役割をもっと本格的に考究すべきだろう。

|

« ナショナリズムと色彩 | トップページ | 季節とことば »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ナショナリズムと色彩 | トップページ | 季節とことば »