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2017年3月12日 (日)

宮沢賢治と青

宮沢賢治の童話、それほどたくさん読んだわけではない。
それでも賢治と聞くと、なぜか青色を連想してしまう。

賢治とは関係ないけれど、松本零士さんの「銀河鉄道999」の影響だろうか?

もちろん、メーテルの長い金髪や登場するキャラクターの衣装をはじめさまざまな色があらわれるけれど、何となく青が支配しているような雰囲気がある。

銀河鉄道が疾走する虚空は印象的な濃紺に描かれている。
憂いを含んだメーテルの表情も、青に結びつく。

そうそう、賢治の作品に戻らなくちゃ。

静まりかえった虚空に街灯がひとつ、青白い燐光を放っている。
そんなイメージ。

どうして宮沢賢治とそんなイメージが結びつくのか、自分でもよくわからない。
断片的に読んだ賢治の文章がそんなイメージを育んだのだろうか?

たしかに賢治の作品には色彩語がよく登場するし、その中でも青が主調をなしているような印象がある。
賢治が生まれ育った花巻周辺、北上地方の風土が賢治の心を青く染め上げたのかもしれない。

むかし、私も八月の終わりのころ北上地方を訪れたことがある。
夏だというのにうすら寒かった。

深く青い東北地方の空、その空の色を映す北上川…。
寒色の青が、北上地方によく似合うことが身にしみてわかった。

この色彩と言語シリーズのはじめのほうで、青と緑を比べてみたことがあった。

青は抽象的でその分精神的。
緑は具体的で即物的。

緑色は、そこらへんにある木の葉っぱをちぎることで簡単にその色をみずからの手で確かめることができる。
しかし、青はそうはいかない。

空の青にしろ、海の青にしろつかみどころがない。

空が青いのも、海が青いのも何ひとつ事物の裏付けがあるわけではない。
わたしたちの感覚がそう信じているにすぎない。
ひょっとすると幻かもしれない。

だから、青は精神的なのだ。
だから、青は文学によく似合うのだ。

文学だけでなく、芸術全般によく似合う。
ピカソにも青の時代があった。

そう考えると、宮沢賢治と青の結びつきも納得できる。

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