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2017年2月 5日 (日)

みずいろの謎

前回お話しした「恋はみずいろ」には、英語バージョンもある。
ヘザーという女性歌手が歌っていて、タイトルは「Love is blue」とフランス語版の直訳になっている。

しかし、歌詞の中身はかなり改変されているようだ。

色名が五つも出てくる。
青、灰色はいいとして、赤、緑、黒が追加されている。

赤は泣きはらした目。
緑は嫉妬する気持ち。
黒はひとりさびしい長い夜。

赤、黒はわかるが、なぜ緑が嫉妬する気持ちをあらわすのだろう?
そう思って、英和辞書を引いてみるとたしかに「嫉妬深さを暗示する」とある。

日本語では「あお」が担っている未熟の意味が英語では「green」が担っていることと思い合わせれば、「green」には結構ネガティブな意味が含まれているようだ。

日本語と英語では、青と緑の役割が反転しているようでおもしろい。

ところで「みずいろ」について考えてみたい。

どの言語でもそうだけれど、基本色名以外は事物の名を借りて色名とするのが普通だ。
日本語なら、だいだい色、鼠色、茜色、藍色などのように。

「みずいろ」もその方式だけれど、だれでも知っているように水は無色透明だ。
色がないのに、どうして色名として通用しているのだろう?

辞書で「みずいろ」を引くと、「うすい青色」と出ている。
そして、わたしたちもその意味で用いている。
「みずいろ」と聞くと「うすい青色」を思い浮かべる。

しかし、コップの中の水をいくら凝視してもそんな色は見えない。

「みず」と「うすい青色」は、どんなメカニズムで結びついたのだろう?
やはり水面に映る空の青からの連想だろうか?

しかし海面や湖面、池の水面をよくよく見るととても「うすい青色」には見えない。
青黒かったり、暗緑色だったりする。

同じ事物の名を借りて色名とするのでも、この点でだいだい色や鼠色などとは根本的に異なる。
どうして、事実とかけ離れた「みずいろ」が堂々とまかり通るのだろう?

「みず」の「いろ」は「みずいろ」じゃないのに、「うすい青色」を指してわたしたちは「みずいろ」という。
どこかで巧妙なすりかえが行われている。

あるいは、物理的な色彩とはかかわりなく、わたしたちの意識の中で何らかのメカニズムによって「みず」と「うすい青色」の観念連合が成立したのかもしれない。

だとすれば、そのメカニズムが謎である。

言語におけるこの手の謎やすりかえは、色名以外の分野でも行われている。
以前このことにふれた記憶があるのだけれど、ずいぶん昔のことなので内容は忘れてしまった。

(「恋はみずいろ」の英訳詩については、penさんのブログを参考にさせていただきました)

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