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2017年2月12日 (日)

色と性

少し前に、英語の「ピンク」と日本語の「桃色」はその成り立ちが同じだというお話をした。
どちらも事物に名を借りて、その色の名前としている。

ところで英和辞書によれば、英語の「ピンク」は赤ん坊の肌を連想させ、健康、若さ、活力、純真、新鮮さを象徴するのだそうだ。

日本語では、新芽のように若々しい児、という意味で乳児のことを「みどりご」と呼んだ。
英語の「ピンク」の象徴的意味を日本語は「みどり」に託したのだ。

日本語で青二才というところを英語では「このグリーン野郎!」とののしるなど、色の名前が持つ象徴的意味の諸言語間のずれはまことに興味深い。

そういえば、日本語で「ピンク映画」というところを(最近あまり言わないな)、英語では「ブルーフィルム」という。
日本語話者は、赤ん坊の肌よりも若い女性の肌を連想したのかもしれない。

そういえば、高橋真梨子の「桃色吐息」なんてなまめかしい歌もあったなあ。
「桃色」という色名の象徴的使用が、その雰囲気をかもしだす。

こうして、「ピンク、桃色」にセクシュアルな象徴的意味が込められたのだけれど、日本語では「いろ」という語そのものにセクシュアルな意味がある。
英語の「カラー」に、そんな意味はない。

日本語では「色男」とか「色気」とか「好色」と言ったりする。

漢字の「色」には、その成り立ちからセクシュアルな意味が備わっている。
というよりも、セクシュアルな意味が原義といってもいい。

しかし、漢字伝来が契機になって和語の「いろ」がセクシュアルな意味を帯びるようになったのではあるまい。
漢字の「色」にかかわりなく、和語の「いろ」にはもともとセクシュアルな象徴的意味があったと考えるべきだろう。

ただ、漢字の「色」とちがって、和語の「いろ」がその原義としてセクシュアルな意味を含んでいたということではあるまい。
「いろ」の原義はあくまでも物理的な色彩にあったのだと思う。
あくまでも派生的にセクシュアルな意味を獲得したに違いない。

前回登場した「みず」はさておき、地球上のほとんどの「もの」は、物理的色彩という意味での「いろ」を有している。
その「いろ」を知覚することで、わたしたちは何を感知するだろうか?

そう、「いのち」である。
モノクロームの、色あせた世界にわたしたちは「いのち」を感じない。

世界のさまざまな「もの」は光と出会うことによって「いろ」を発する。
地球上のいのちの源泉であるお日さまの光によって、「もの」の「いのち」は輝きだす。

そして、「いのち」は容易に性と結びつく…。
きっとこのような次第で和語の「いろ」はセクシュアルな意味を獲得したのだ。

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