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2017年1月29日 (日)

恋はみずいろ

覚えてる?
むかし、ヴィッキーの「恋はみずいろ」って曲、はやったよね?

何、それ? そんなの知らないーだって?

そうか、無理もない。
この歌がはやったのは1960年代の後半だったんだ。

月日は流れ、わたしは残る…。
ふと、そんな詩句を思い浮かべてしまう。

私もずいぶん歳をとってしまった。

それはさておき、「恋はみずいろ」というタイトルは、もちろん邦訳である。
フランス語の原題を直訳するなら、「恋は青」または「恋はあおいろ」だ。

訳者は、これはまずい、と思ったにちがいない。

青は寒色で鎮静色だし、日本語の「あお」には英語の「ブルー」に影響されて憂鬱の意味さえ含まれている。
恋に舞い上がる若者の心が憂鬱なはずがない。

だから、青の明度をうんと上げて「みずいろ」と訳したのだ。

英語の「blue」には憂鬱の意味があるけれど、フランス語の「bleu」にはその意味はないのだろうか?

青い、青い、恋は青いわ
空のように

と、ヴィッキーは機嫌よく歌っている。

恋に舞い上がる乙女心は、晴れ上がった青空にまで昇るよう。
その気持ちは日本語話者にもわからぬではない。

しかし、やはり「青」という色名を前面に打ち出すのはためらわれる。

灰色、灰色、恋は灰色
私の心は泣くわ
あなたが行ってしまうと

とも彼女は歌っている。

ここで灰色という色名を持ち出すのは、日本語話者と共通した感覚だ。

こうして分析してみると、恋に燃える若者の心持は洋の東西で共通しているようだ。
やはりネックは「あお」という色名なのだ。

訳者は、「みずいろ」と意訳することによってこの場を切り抜けた。

では、日本語話者なら恋する若者の気持ちを何色にたとえるだろう?

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めし はじめなり

と藤村は歌っている。

やはり恋には暖色系の心温まる色がふさわしい。
ならば、「恋はくれない」あるいは「恋はももいろ」と訳すべきだろうか?

さすがにそこまで原題から離れるわけにもいかないかな?

(「恋はみずいろ}の訳詩についてはpenさんのブログを参考にさせていただきました)

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2017年1月22日 (日)

色と四神思想

野原にひとり、南中するお日さまに向かって私はまっすぐ立っている。
左右に両手を水平に伸ばして…。

こんなイメージがこれまで何度か登場した。
というのは、わたしたちが住んでいるこの世界を秩序づけるための出発点になるイメージだと思うからだ。

こんな人体構造が、世界を4つに分割する。
「わたし」を原点にして前、後、右、左。

3次元的には、頭のほうが上、足のほうが下。
という垂直軸も加えなければいけない。
宗教的にはこの垂直軸のほうがむしろ重要かもしれないけれど、この先話がややこしくなるのでとりあえず前後左右の水平面に限定して話を進めよう。

野原に直立している私と方位を対応させるなら、前が南、後が北、左が東、右が西にあたる。

南には朱雀がいる。
西には白虎がいる。
北には玄武がいる。
東には青龍がいる。

4方位が、それぞれ動物に、そして色に対応している。
その色が見事に日本語の4つの基本色名になっている。

四神思想は中国からもたらされたものだ。

だとすれば、基本4色の成立もその影響だろうか?
それとも、いずれも和語だから在来の基本4色が渡来した四神思想とたまたま合致したのだろうか?

いずれにせよ、わたしたちの人体構造の特徴が空間を4分割することにつながった。
もしわたしたちの身体が3角形や5角形をしていたら、世界を3分割、5分割する発想があってもおかしくない。

そして、人体構造に由来する4という数字は、空間だけでなく時間の分割にも適用される。
つまり、季節変化を有する中緯度地方の国々の言語ではどこでも季節を春夏秋冬の4つに分割している。
1年を3つや5つの季節に分割している言語はない。

時間や空間を4つに分割するというのは、やはり人体構造に即して自然なのだと思う。

南、夏、赤。
西、秋、白。
北、冬、黒。
東、春、青。

という連想は、北半球に住むわたしたちにとって違和感がない。

そう考えれば、基本色名が4つではなく3つや5つ、6つの言語にはどこか無理があるのかもしれない。

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2017年1月15日 (日)

色の名前(その5)

とにもかくにも、だれが何と言おうと日本語の基本色名は、白、黒、赤、青の4種類に決まっている。

少ない。
白と黒を色彩でないとすれば、なんと赤と青の2種類だけになる。
色の世界の単純化は、ここに極まる。

ともあれ、白と黒も色名であるとしてこの基本色名グループをさらにグループ分けしてみたい。

語構成に着目すれば、どの語も2音節からなっている。

「しろ」と「くろ」は第2音節が「ろ」で共通している。
また、「あか」と「あお」は第1音節が「あ」で共通している。

つまり、「白」と「黒」、「赤」と「青」がサブグループとしてまとまっている。
「白」と「黒」は色相がない、「赤」と「青」は色相がある、という点でも共通している。

一方、「しろ」は「しろし」、「しるし」につながっている。
つまり、はっきりしている、きわだっている、という意味を含んでいる。

そして「あか」は「あかる」、「あかり」につながっている。
つまり、明るくなり物事がはっきり見えてくる、という意味を含んでいる。

この点では、「白」と「赤」がひとつのサブグループを形成している。

反対に「くろ」は「くらし」につながっている。
つまり、明かりが不足してものごとがはっきり見えない様子を指している。

また「あお」は「あはし」につながっている。
つまり、ものごとが淡い、漠然としているという意味を含んでいる。

要するに、「黒」や「青」は光が不足していてものごとがよく見えずぼんやりしていることをあらわす点で、これまたひとつのサブグループを形成している。

感覚、色覚が未発達な古代人は、視界が「はっきりしている」か「ぼんやりしている」かをまず分類に基準にしたのかもしれない。

こうして二元的かつ対立的なサブグループが出来上がった。
しかし、白と黒、白と赤のように同じグループの中でも反対色の関係が存在する。

四色相関関係図はなかなか複雑だ。
しかし、関係が複雑だからこそ世界を構成する4つの基本的要素といえるのかもしれない。

四色相関関係図をじっと眺めていると、複雑な関係だけれど4色が緊密に結びついていることが分かる。
この関係の中に、たとえば緑や黄色、茶色などほかの色が紛れ込んできても居場所がないように感じる。

緑や黄色や茶色は基本4色に肉薄しているとはいえ、しょせん音感的にも資格がない。
「みどり」は3音節だし、「き」や「ちゃ」は1音節だ。
基本4色の2音節と同じグループには入れない。

何といっても基本4色は別格なのだ。

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2017年1月 8日 (日)

色の名前(その4)

固有の色名、基本の色名という点で、白、黒、赤、青はひとつの重要なグループを形成している。
前回もお話ししたように、緑や黄や茶とは別格の色名である。

このことは少し前の形容詞語尾「い」の接着テストでも明らかだった。

実は、この点をもう少し補強する事実もある。

日本語では、事象の核心をあらわす接頭辞に「ま」がある。

たとえば、「真夏」、「真冬」という。
(なぜ、「真春」や「真秋」がないかについては、かなり以前にお話しした)

「真四角」、「まんまる」という。
中心のさらに中心のことを「まんまんなか」という。
(最近では、「どまんなか」という俗語のほうが優勢だが…)

この「ま」が基本4色名には問題なくつく。

しかし、「まみどり」はない。
「まむらさき」とも言えない。

「真っ黄色」は可能だけれど、「色」を付加する必要がある。
「真っ茶色」はどうだろう?
言えなくもないような気がするけれど、いずれにせよ「色」を付加しなければならない。

「まっしろ」、「まっくろ」、「まっか」、「まっさお」は別格である。
さすがに基本4色名だけのことはある。

日本語の場合、このような操作で4つの基本色名をきれいに抽出することができるのだが、他の言語圏では基本色名をどのように識別しているのだろう?
また、基本色名が何種類かという点も気になる。

バーリン&ケイによれば世界の普遍的な色彩語のカテゴリーは11種類ということだから、基本色名が5種類、6種類の言語もあるに違いない。

前にもお話ししたように、日本列島は豊かな色彩に恵まれている。
にもかかわらず、基本の色名が4種類とは少ないのではないか?

たとえば、基本色に近接している緑や黄色は基本色に加えてもおかしくない。

身の回りの自然を観察してみよう。

野にも山にも緑があふれている。
黄色の花や蝶も珍しくない。

少なくとも自然物に関するかぎり、基本色の青よりも緑や黄色のほうがよほど身近なのだ。
青い葉っぱなどないし、青い花ができれば大ニュースになる。

それなのに「い」や「ま」のテストをすれば、緑や黄色は基本色に入れてもらえない。
青と緑は隣り合っているし相互に浸透してもいるけれど、わたしたちの目には見えない深い溝があるのかもしれない。

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