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2016年12月 4日 (日)

色と象徴(その3)

前回の最後のほうは、黄色について考えてみた。

他の色と同じく、黄色も象徴的な使われ方をする。
たとえば、スタジアムで女の子は黄色い声を上げる。

あまり耳に快い音声とはいえない。
落ち着きのない音声である。

そのような音声を表現するのに、黄色という色彩を持ち出している。
物理的色彩を離れた象徴的意味を込めているのだ。

音声に色などあろうはずがないのに、わたしたちは平然と色で表現する。
いかに色の象徴性が強烈であるかの証左だろう。

少し前に取り上げた「真っ赤なウソ」や「赤の他人」という表現も同断である。
物理的色彩とは何の関係もないきわめて象徴性の高い表現だ。
赤の鮮烈な印象を活用して、「うそ」や「他人」を強調する戦略だろうか?

たとえば、小さな子どもたちがお日さまを描く。
真昼のお日さまでも、赤いクレヨンで描く。

本当は真昼の太陽が赤いはずがない。
太陽が赤いのは夜明けと日没のときだけである。

なのに子供たちは真昼の太陽を赤く描く。

色の象徴性があまりにも強烈であるために、「お日さま=赤」という記号的関係が実際の視覚経験を超えて幼い子供たちまで支配しているのだ。

そういえば、水色という色名もある。

だれもが知っているように、水には色がない。
水は光を透過するために無色透明なのだ。

にもかかわらず、水色と言えばわたしたちは淡い青を想起する。
物理的色彩などおかまいなしに、水色という表現をする。

強烈な象徴性が、「水=青」という虚構の記号的関係を成立させるのだ。
実際の色覚にかかわりなく、象徴性がわたしたちの心に組み込まれてしまっている。

本当は海の色だって青いのかどうか。

海辺に立って眼前に広がるその色をありのままに表現しようとすると、案外難しい。
その日のお天気や時刻によってずいぶん違う。

いま、わが家の窓から瀬戸内海が見える。

その色はとても「青!」とは言い切れない。
わずかに青みがかった白、あるいは灰色…。
それとも、「にびいろ」と言ったほうがふさわしいだろうか?

それなのにわたしたちは、「目の前には青い海が広がっている」と表現してそれですませてしまう。
ちょっぴりやましさを感じながらも…。

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