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2016年11月13日 (日)

緑と象徴(その2)

前回は最後に「みどり」にかかわるふたつの疑問を呈して、これらふたつの疑問の背後には何か共通する秘密が隠されているのかもしれない、と思わせぶりに締めくくった。

しかし、その共通の秘密を性急に探求することはしない。
ことばのあれこれを気ままに訪ねる旅を続けているうちに、どこかでその秘密に出会えるかもしれない。

それよりも、もう少し車の色について考えてみたい。

車は今やわたしたちの生活必需品だ。
新車を購入するとき、もちろん性能や価格が最優先される。
しかし、ボディカラーもそれに劣らず重要な選択基準だと思う。

みなさん何を基準に色を選んでいるのだろうか?

前回もお話したように、駐車場に止まっている車をざっと見わたせば8割が黒、白、グレー、シルバーなどの無彩色系である。
残りの2割が赤、青などの彩色系だ。

車の色の好みには国民性があらわれるという。
たしかに、映画を見ているとヨーロッパでは日本より彩色系の車が多いような印象を受ける。
黄色の車が、石畳の路上に駐車しているのをよく見かける。

ともあれ日本では無彩色系が支配的だ。
白やシルバーは汚れが目立ちやすいという欠点があるにもかかわらず、多数派を占めている。
黒も不吉な色というイメージがあるにもかかわらず、社長車の定番として不動の地位を占めている。

やはり、余計な自己主張は避けたい、という意識が働くのだろうか?
それで、無難な色が好まれるのだろうか?

何を隠そう、私の車もメタリックシルバーである。
やはり無難にやりすごそう、という意識が働いたのかもしれない。

そこへいくと、彩色系の車は自己主張が激しい。
車を通じて自分をアピールしたい、という人が赤や青の車を購入する。

そこで不思議に思うことがひとつある。
車の運転には、危険、そしてその反対の安全という意識が常について回る。

そのことを考えれば、危険の象徴である赤がなぜ彩色系のなかでよく選ばれるのだろうか?
反対に安全の象徴である緑がなぜ選ばれないのだろうか?

緑や赤が安全危険の象徴であるとすれば、世の中には緑の車があふれ赤の車などありえないはずだ。

しかし現実は逆である。

街中を赤い車が走っていても、不思議に危険を連想しない。
むしろ、「活力」といったものを感じる。

反対に街中を緑の車が走っていたら「趣味が悪いな」と思ってしまう。
安全などこれっぽっちも連想しない。

なぜだろう?

車は交通安全に直結している。
にもかかわらず、車の色は安全危険の象徴性をまったく発揮していない。

色や色彩語はきわめて象徴的な使われ方をする。
しかしその象徴性は一筋縄ではいかないのだ。

追記

前回、かつての天皇誕生日が「みどりの日」に衣替えした、というお話をした。
しかしこの表現は正確じゃなかった。
たしかに2006年までは、4月29日が「みどりの日」だった。
しかし、2007年からは「昭和の日」に改称され、それに伴って「みどりの日」は5月4日に引っ越しをした。
同じゴールデンウィーク中の変更だったので、ついうっかりしていた。
調べもせずに書くとこういう恥をかく、という見本ですね。
ご指摘いただいた方、ありがとうございました。

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