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2016年10月16日 (日)

青と緑(その2)

日本語では生まれて間もない子供を「あかちゃん」とか「あかご」という。

この表現はよくわかる。
生まれたての赤ん坊は、おぎゃあおぎゃあとよく泣いて真っ赤な顔をしている。

一方で、「みどりごイエスにそそぐ20の眼差し」なんて楽曲もある。
なんと赤ちゃんは緑色なのだ!

どうして赤ちゃんは「みどりご」なのだろう?
辞書によれば、新芽のように若々しいさまを「みどり」という色彩語にたとえたのだそうだ。

つまり、「みどり」という色彩語を象徴的に用いている。
象徴的使用を可能にしているのは、「若々しい」という意味である。

前回、「あお」には未熟や若いという意味が含まれている、というお話をした。
ならば、「みどり」だって同じことが言える。

「若々しい」という意味が「はじまり」につながり「進め」という合図の象徴になる、という理路は「あお」の場合とまったく同じだ。
だとすれば、物理的には緑色なのだからそれに合わせて「緑信号」というほうがむしろ自然ではないか。

前回は、「若々しい」-「はじまり」-「進め」という意味の連鎖を「緑信号」ではなく「青信号」ということの論拠にしたのだけれど、ここへきてどうやらこの論理は破綻したようだ。

結局、なぜ「緑信号」ではなく「青信号」なのかという出発点にまたまた戻ってきてしまった。
ごくろうさま。

スペクトルでは、青と緑は隣り合っている。
だから、多くの言語でも青と緑の意味範囲はオーバーラップしている。

日本語とは反対に英語では、greenのほうがblueを包含している関係にある。
だから、世間知らずの青二才のことを英語では「この緑野郎!」というそうだ。

「若々しい」と「未熟」は表裏一体だ。
同じ一つの事象を肯定的にとらえれば「若々しい」となり、否定的にとらえれば「未熟」になる。

そして日本語では、「若々しい」を「みどり」が担い、「未熟」を「あお」が担っている。
だから「みどりご」であり、「青二才」なのだ。

青と緑は隣同士で似た者同士だけれど、この役割分担、公平に見て緑が得をしている。
日本語では、青よりも緑のほうがイメージがいい。

だからJRの一等車は、ブルー車ではなくグリーン車なのだ。

この現実を目の当たりにして、青はブルーな気分に陥っているかもしれない。
交通信号で緑に勝ったのが、せめてものなぐさみだろうか?

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