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2016年9月24日 (土)

ビッグバンと進化(その2)

前回は言語の起源をめぐって、ビッグバン説と進化説のふたとおりの考え方を紹介した。

これに対して、平戸皆空さんから長文のコメントをいただいた。
コメントを拝読して、考え込んでしまった。

平戸皆空さんは進化説を採用されておられる。

たしかにいま世界では何千という種類の言語が行われている。

英語があり、中国語があり、ロシア語があり、マレー語があり、スワヒリ語があり、バスク語があり、そして日本語がある…。
たがいに似ても似つかぬ言語が当たり前に存在している。

こうした言語事実を目の当たりにすれば、単一起源説は旗色が悪い。
言語は世界中で同時多発的に発生し、独自に進化したあげく現在のような多様性を呈するに至ったという説明には納得がいく。

ただ、人類学の世界では人類の単一起源説が多数派だと思う。
現生人類は東アフリカの峡谷地帯で誕生し、移動を繰り返したあげく今日のように世界じゅうに分布するようになった。
私はそう教わった。

だとすれば、人類に担われた言語もまた単一の起源から長い時間をかけて進化、分化した結果、現在のようになったとも考えられる。
諸言語間で単一起源を示唆する共通性が見当たらないとしても、長い時間の間にすっかりその痕跡が失われてしまったのかもしれない。
時の経過はすべてを押し流してしまう。

単一起源か、同時多発か?
科学はその秘密を解明できるだろうか?

平戸皆空さんは分子生物学や発達心理学の進歩に期待を寄せておられる。
科学はその期待にこたえられるだろうか?

自然科学の方法で解明できるということは、つきつめれば、わたしたちの言語活動は酸素や水素や窒素や炭素などの元素の相互作用に還元できる、ということだ。

しかし、私は人間の言語活動と科学的合理主義はどうも相性が悪いのではないかと感じている。
どこか次元がずれているのではないかと考えている。

こんなことを言うと、学界のみなさんから「神秘主義への退行」と言われそうだ。
私としても根拠があって言っているわけではないから、そう非難されても返すことばがない。

たしかにこの神秘主義を受け入れてしまうと、人間の言語現象の中に「神さま」という面妖な変数が忍びこんでくる。

とても危険な考え方だ。
でも、危険であるがゆえに魅惑的でもある。

ビッグバン説には、そんな危険なにおいがする。

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コメント

しおかぜさん、現生人類が同一種だという点、この同一種がアフリカ東部地域から世界に拡散していった説が有力だという点は私も認めます。その上で、ここで問題となっている言語の誕生起源の「ビッグバン説」と「進化説」との区別を再確認しますと、人間の言語能力がある時点で瞬間的に生まれたとするのがビッグバン説、ある別の能力が徐々に〃〃言語能力を形成させていったとするのが進化説ということですね?つまり言語誕生の起点で何が起こったかの差異で、天変地異のような“ショック”(ビッグバン)によるとするか、いわく言い難い能力の形成(進化)によるとするか、どちらなのかということですね? ‥‥ウ~ン、やっぱり私は進化説をとりますね。これは好みの問題となってしまうかも知れませんが。‥‥因みに私は、宇宙誕生の「ビッグバン説」も好きになれません。どうしても「ビッグバンの前の状態は何だったんだ」という疑念が拭えないからです。

投稿: 平戸皆空 | 2016年9月24日 (土) 19時54分

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