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2016年9月18日 (日)

ビッグバンと進化

前回は、「あまい」という形容詞の誕生のいきさつについて見てきたようなレポートをした。
もちろん宇宙の起源と同様、ことばの起源なんてだれにもわかるはずがないからこれは一時のたわむれである。

ことばの起源を探るなんて、詮ないこと。
わたしたちには、起源を探ると称してたわむれることしかできない

そうとわかっていても、起源の秘密の一端にでも触れてみたいという気持ちを抑え切れないのが人間の業である。

宇宙がビッグバンによって生まれたように、言語にもビッグバンがあったのだろうか?
言語はある瞬間におびただしい基本語彙と文法がワンセットで出現したのだろうか?

だとすれば、それらが瞬時に人間集団に共有されたメカニズムはどうなのか?

また「いぬ」という音声標識とそれが指示する生き物との結びつきは、どのようなメカニズムによって成立したのか?
ソシュールはその結びつきは恣意的なものだ、というけれども仮にそうであったとしてもそれなりのメカニズムがあるはずだ。

さらに、言語音はどのような基準によって個々の言語集団によって採用され、共有されるようになったのか?

言語ビッグバンがあったとしても、まだまだ分からないことだらけである。

それとも、ビッグバンではなく生命の進化と同じように語彙も文法も少しずつ段階的に発生したのだろうか?

たとえば人体のパーツをあらわす名詞。
「手」や「足」や「目」や「口」は人間が生存するためになくてはならない器官だから、これらの語は言語成立の当初からそろっていた。
しかし、「おへそ」や「ふくらはぎ」や「もも」はさして重要ではないから、言語の成立からかなり遅れて誕生した。
文法も無の状態から順序を踏んで整備されていった…。

そんな次第なのだろうか?

あるいは、普通名詞や固有名詞に先立って代名詞が成立したのかもしれない。
たとえば、ふくらはぎが痛む時は「ここ、ここ」と指さして、苦悶の表情を浮かべればよい。
代名詞とボディランゲージ、それに表情を動員すれば、「ふくらはぎ」という語がなくても、文法が確立していなくても十分用は足りる、というわけだ。

たしかにボディランゲージや表情がコミュニケーションに大いに役立つことは、わたしたちの実体験に照らしても納得がいく。
言語始原の時、語彙や文法が十分に発達していない段階では、人々はこれらを動員してコミュニケーションを果たしていた、というのは十分想像できる。

その後、語彙は長い時間をかけて磨き上げられてきた。
はじめは雲のようにあいまいだった意味範囲も、ダイヤモンドのようにくっきりと鮮明になってきた。
時代とともに新しい語彙も開発されてきた。
文法も鍛え上げられ、洗練されていった。

そしてことばは今日のようなった…。

さて、ビッグバン説をとるか、進化説をとるか?
みなさんなら、どちら?

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コメント

今日は。私は断然「進化説」ですね。と言うかこれ以外に考えられません。現在、世界で使われている言語(国語)の種類は何百種類とあるのでしょうが、この有り様を「ビッグバン説」で説明できるでしょうか。地球上のバラバラの地域に、瞬時にまったく異なる音声言語(現生人類が出現してから最初は文字はなく音声言語だけだったと想定するとして)が、何百種類も誕生するとは考え辛いのではないでしょうか。それとも元は一種類だったものが、世界中への人類種族の拡散に伴って、違う言語(国語)へと分化したと考えますかね。それなら世界中の言語音声に元の一種類を微かにでも暗示する共通部分があるでしょうか。あるという話など聞いたことがありませんし、今後もないでしょう。                                        だとすれば人間の言語は、生物学的なある能力(生得的な能力)による、五感を基盤に形成された表現(伝達)方法が数万年(数十万年?)の時間をかけて進化してきたもの、と言う以外に今のところないのではないでしょうか。もちろん言語能力の起源が生理学的(神経細胞学的)にはまだ解明されていませんから、これも仮説でしょう。しかし現実的に想定可能な仮説だとは言えそうに思います。今現在の世界を見渡して、人種ごとに顔つき、体格、肌の色などが異なっても言語能力(ものごとを言葉で表す能力)に差異は存在しません。差異があればその言語との通訳は不可能でしょうが、通訳不能な言語(国語)があるなどとはそれこそ聞いたことがありません(旧人類:ネアンデルタール人が生きていれば、新人類との差異が確認できたかも知れませんが、それを証明することは今はできません)。とにかく今後、発達心理学、分子生物学などの発展と、神経反応を測定する画期的な技術革新に待つしかないことでしょう(今世紀中にできますかね)。

投稿: 平戸皆空 | 2016年9月18日 (日) 20時25分

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