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2016年8月14日 (日)

感覚と言語(その8)

「あまい」という語が味覚経験を表現する形容詞であることはたしかである。
だからと言って、「あまい」という形容詞が味覚世界に起源をもつとは言えない。

そんなバカな、という方はこの語が味覚世界で誕生したということを証明していただきたい。

前回の終わりは、やや挑戦的な気分でこんなふうに締めくくった。
本当にいざ証明しようとするとなかなか難しいのではないか?
少なくとも私にはできない。

太古の森で、ある人がミツバチの巣を見つけた。
その中にはきらりと光る透き通った粘液があった。

ふと好奇心に駆られて、その蜂蜜を指にからめてそっと舐めてみる。
「!」

かれはこの「!」という感覚を、「甘い」という語で表現した。
なにしろかれは新婚早々だったので、その「甘い生活」の心地よい感覚が「!」と共通していたのだ。

常識的には逆方向の転用だけれども、こんないきさつで「甘い」が味覚世界の形容詞として確立したと考えることもできるのではないか?

ある論文を読んでみる。

それによると、「甘い」という形容詞が味覚世界を離れて「甘い生活」のように他の分野に転用されることを、言語学では「共感覚的比喩」というのだそうだ。
学術用語であるだけに、ずいぶん難しい。

この論文でも、冒頭で「味覚表現は味覚をあらわすだけでなく、他の感覚表現に転用されることも多い」と述べている。
つまり、証明抜きで「甘い」は味覚世界に固有の起源をもっていると言っているのだ。

もう少しこの論文を読んでみよう。

「あまい」の反対語は「からい」である。
しかし、著者は「あまい」とちがって「からい」は味覚世界を出生地とする形容詞ではない、と言っている。

「からい」はもともと「たえがたい」という未分化の意味を有した語で、それが味覚世界では「からい」に分化し、心的領域では「きびしい、きつい」という意味に分化したのだ、という。

そして、「甘い父親」や「ブレーキの利きが甘い」という日本語独特の否定的用法は、「からい」との強力な対義的結合関係から反射的に生じたのだ、と結論づけている。

だとすれば、「あまい」についても同じことが言えるのではないだろうか?

つまり、「あまい」もまた「生理的快感」をあらわす未分化の意味を有した語で、それが味覚世界にも、心的領域にも適用された結果、意味的分化を生じたのではないだろうか?
本来味覚表現のための語が心的領域に「転用」されたとは、必ずしも言えないのではないか?

太古の森ではじめて蜂蜜をなめた人に真相を聴いてみたい。

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