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2016年7月24日 (日)

感覚と言語(その5)

聴覚経験を表現するための独自の形容詞はまったくない…。

なんて前回断言してしまったけれども、方舟さんからさっそく「うるさい」という語がありますよ、とご指摘をいただいた。

たしかにその通りだ。
「うるさい」は視覚でも、嗅覚でも、味覚でも、触覚でもない耳の感覚経験を表現している。

単に私が思いつかなかっただけである。
しろうとがうかつに断言などすべきではなかったのだ。

ふりかえってみると、このブログでは私の短慮ゆえに間違ったことを言い切って、あとから平あやまりするケースが多い。
どうも失敗から学んでいないような気がする。
今回のことを肝に銘じて、これからは断言を慎もうと自省するけれども果たしてどうなることやら…。

方舟さんは、コメントの中で「うるさい」は元をたどれば視覚経験に由来しているのではないか、とも述べておられる。

漱石は、小説のなかで「五月蠅い」という文字づかいを用いている(「蒼蠅い」という表記例もある)。
なんともひどい当て字だけれども、この表記には「うるさい」という感覚が見事に視覚化されている。
たしかに「うるさい」は視覚経験ともつながっているような気がする。

「うるさい」という語に触発されて、「やかましい」、「さわがしい」、「かまびすしい」という形容詞も芋づる式に浮かんできた。
よくよく考えてみると、聴覚独自の形容詞も結構あるのだ。

「うるさい」や「やかましい」があるとすれば、その反対の状態をあらわす語もあるはずである。
「静かだ」という形容動詞がそれに当たるのだろうか?

「うるさい」や「やかましい」、その反対語の「静かだ」は、耳に届く聴覚信号の過剰や寡少をあらわしている。
つまり信号の量的側面をあらわす語だ。

では、信号の質的側面をあらわす独自の形容詞や形容動詞はあるのだろか?
いま私には思いつかないけれども、今回のことがあるから「ない」とは断言しない。
もしご存知の方がいらっしゃれば、ご教示をいただきたい。

実はもうひとつお詫びしなければいけないことがある。
味覚のことである。

味覚をあらわす固有の形容詞はそれほど多くないけれども、けなげにその孤塁を守って視覚形容詞の侵入を許さない。
少し前、そんなお話しをした。

しかし、「彼のことばには、深い味わいがある」というような表現が可能だ。
「深い」という視覚形容詞と、「味わい」という味覚をあらわす語が結びついている。
「視覚形容詞の侵入を許さない」という断言はここでも撤回せざるを得ない。

ここでいう「味わい」は物理的な味覚経験ではない比喩的な表現だから、視覚形容詞と結びついてもかまわないという言い訳はできるかもしれないが、追い詰められて苦しい言い訳をしているという感はぬぐえない。

やはりこの際いさぎよく撤回するほうがいい。
何だか、今回は弁明に終始してしまったような気がする。、

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コメント

平戸皆空さま

いつもコメントありがとうございます。
たしかに「妙なる調べ」と言いますね。
断言しないでよかった!

「妙なる」という語も味わいがありそうで、いつか考察してみたいと思います。

投稿: しおかぜ | 2016年7月25日 (月) 10時22分

今日は。 聴覚信号の質的側面を表すような形容動詞と
して「妙なる」を思いました。
ただこれは「妙なり」という文語形容動詞の連体形から
きている言葉のようです。大辞林ではこの「妙なる」の
意味を「言葉で表せないほどすばらしい」と説明してい
ます。‥‥何とも言いようもないほど、と言うあたりは
何か暗示的ですね。
ついでにこれの英訳は、elegant、very beautifulなどが
当たるようです。

投稿: 平戸皆空 | 2016年7月24日 (日) 15時58分

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