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2016年6月 5日 (日)

連濁のふしぎ

私のような凡人が徒手空拳で時間や空間と格闘したところで得るものは何もない。

というのが、時間と空間と言語についてさんざん愚考してきた結果、得られた教訓だった。

それよりも、身近にあるささやかな言語現象にもっと目を向けよう。
一見ありふれたことばの不思議に真摯に向き合ってみよう。
その地道な積み重ねが、やがて私を時間と空間の真相に導いてくれるかもしれない…。

というのが、前回私が得た悟りだった。

日本語には、連濁という現象がある。
これもそんなささやかな言語現象のひとつかもしれない。

みなさんすでにご承知と思うので、連濁についてくだくだしい説明は省いて先に進もう。

ネットで調べたところ、連濁の成立に関しては一応ルールらしきものはあるようだけれど例外も多いらしい。
まず現象があり、文法的説明はつねに後追いの合理化だからやむを得ない。

問題は人の名前(名字)における連濁である。

大川さんと小川さん。
大沢さんと小沢さん。
大島さんと小島さん。

こうして並べてみると、「大」の場合は連濁が成立せず、「小」の場合は連濁が成立する。
というルールがありそうな気がする。

しかし、ちょっと待った!

何を隠そう私の苗字も「大」で始まる。
しかし、私の場合は連濁が成立するのだ。
パスポートのローマ字表記も濁音にしている。

しかし人それぞれである。
私に向かって「○○さん」と、清音で呼びかける人も少なくない。
そのひとたちは上の「大小ルール」に従っているのだ。

たしかに「山崎さん」のように、連濁の成立に関して相半ばしているケースも少なくない。
私の場合もそのケースに当たるのだろう。

先日の新聞に「中島さん」が投書していた。
自分の名前は「なかじま」なのにみんな「なかしま」と呼ぶ、と憤慨していた。

中島さんの気持ちもわからぬではないが、固有名詞の読みに関しては一方が正しく他方が間違いとは言えない。

人に他意はない。
その人が自然に音声化した発音について「間違っている」と訂正を求めるのも大人げない気がする。
だから私は清音で呼びかけられても気にしないことにしている。

漢字表記で通用する場合、この問題に頭を悩ますことはない。
しかし、かなやローマ字で表記する場合、音声化する場合にこの悩ましい問題はにわかに表面化する。

「トヨタ」か「とよだ」か?
「やなぎだ」か「やなぎた」か?

しかし、豊田さん、柳田さん本人はもとより誰にも読みの決定権はない。
このことが事態を複雑にしている。

かなり昔にも、このテーマに触れたことがあった。
そして今、めぐりめぐって再び取り上げることになった。

日本語にとって、いつまでたっても解決しない悩ましい問題なのだ。

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