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2016年6月19日 (日)

感覚と時間

五感のうち、聴覚は他の感覚と異なるところがひとつある。

それは時間という要素を取り入れないと成り立たない、ということだ。
だから、音楽は時間芸術と呼ばれる。

時間の世界で生まれた「早い」、「遅い」という形容詞も聴覚の世界に取り入れられている。
「テンポが速い」と言ったり。「リズムが遅い」と言ったりする。

聴覚と時間は親和的な関係にある。
だからといって、聴覚が時間を感知するわけではない。

では、わたしたちは時間をどうやって感じているのだろう?
そもそも時間という「もの」が「存在する」ということを直接確認するすべなどないのに…。

少し前にもこんな素朴な疑問を抱いたことがあったと思う。
その答えは出ないままここまでやってきた。

でも今ならわかる。
前回もお話ししたように、わたしたちは五感だけでなく心と体のすべてで世界を感じている。
だから、その世界を構成する要素の一つとしての時間もわたしたちは心と体のすべてをかけて感知している。
時間感覚は生命感覚と言ってもいいくらいだ。

少し言い方を変えることもできる。

時々刻々、時間はわたしたちの思惑とはおかまいなしに正確に「進んで」いく。
だから、わたしたちは時間は人間とはかかわりなしに超然と存在しているように思い込んでいる。
どうしようもない絶対的な存在と思い込んでいる。

でもそうじゃない。

感じている主体が存在しないところに、時間は存在しえない。
むしろわたしたちの心と体が時間を創造しているとも言えるのではないだろうか?

時計が溶けていくダリの絵を思い出す。
溶けていく時間の悲鳴が聞こえてくる。

時間の死命は、わたしたち人間の存在が握っているのだ。

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