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2016年6月12日 (日)

感覚と言語

俗に五感というけれども、わたしたちに備わった感覚はこの5種類だけだろうか?

もっとあるような気がする。

たとえば、ぎっしり書類の詰まったかばんを持ち上げる。
「重いな」と感じる。

この感覚は視覚ではないし聴覚でもない。
まして味覚でも嗅覚でもない。

触覚?

これは手で触れた時に感じる感覚だ。
「つるつる」か「ざらざら」か、「ぬめぬめ」か「べとべと」か…。
それにしても、触覚の表現にはなぜかオノマトペがにあう。

「重い」という感覚は手の皮膚が感じる感覚ではない。
重さは感覚器官ではない筋肉が感じている。

秋になると乾いたさわやかな風を頬に感じる。
たしかに皮膚で感じるのだけれど、これを触覚と言えるだろうか?

風を感じるのは皮膚感覚だけれども、この感覚は触覚ではない。
だから、風の表現にはオノマトペはにあわない。
秋風は「さわやかに」吹くけれども「さらさらと」吹くとは言いにくい。

そう、わたしたちは五感だけでなく心と体のすべてで世界を感じている。

けれども正直言って、わたしたちの世界認識において視覚の優位は動かしがたい。
結局、人間は目の動物なのだ。

だから、視覚の内容を表現する形容詞が他の感覚世界でも活躍している。

たとえば音の世界でも、大きな音、小さな音という。
高い音、低い音という。
あるいは澄んだ音色などという。

みな視覚表現の語を流用している。
聴覚オリジナルの形容詞はすぐには思い浮かばない。

そうは言っても、わたしたち人間にとって聴覚もまたおろそかにできない。
なぜなら、言語を受信する感覚であるからだ。

というわけで、わたしたちの感覚をあえてランキングするならば、第1位が視覚、第2位が聴覚、ということになるだろうか?

言語を受信する器官が耳だとすれば、言語を発信する器官は口である。

もうずいぶん前にお話ししたけれど、口は動物にとってずいぶん多彩な役割を演じている。

まず命を長らえるために食べるのは口である。
そして、こどもたちやえさをくわえて巣まで運搬するのも口である。
戦いになった時、相手を威嚇したり噛みついたりするのも口である。

つまり摂食器官にして運搬器官にして攻撃器官にして言語器官…。
その八面六臂の活躍に敬意を表して、口にかかわる味覚を第3位としよう。

嗅覚に関しては、人間は犬に負けている。
それがくやしいのか、人間は嗅覚を劣等感覚などと言ってばかにしている。

嗅覚にしろ触覚にしろ、人間の言語活動にかかわらないので感覚としては軽く見られている。
だから、触覚表現などオノマトペのような半人前のことばですまされてしまう。

どっちがどっちでもいいけれど、4位と5位。
感覚の世界でも平等はむずかしい。

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