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2016年5月15日 (日)

時間と空間(その12)

時間も空間も人間も「間」を持っている。
そしてその「間」をエーテルのようにことばが満たしている…。

というのが、前々回の結論だった。

人間の「間」をことばが満たしている、というのはわかりやすい。
たとえば上田さんと下村さんという二人の人間がいるとすれば、その「間」をことばが行き来することでコミュニケーションが成立する。

上田さんと下村さんの「間」をことばが満たしている。
人間の本質をことばが満たしているその「間」に見出すことも可能だろう。

では、時間の「間」をことばが満たしている、というのは?
任意のある瞬間と別のある瞬間の「間」を、年や月や日や時や分や秒ということばが満たしている。
前回お話しした通りだ。

任意のある瞬間と別のある瞬間の「間」に時間の本質がある。
それがことばで表現される。

じゃあ、空間の「間」をことばが満たしている、というのは?
時間とちがって、空間と空間の「間」という表現はナンセンスだ。
空間すなわち「間」と言い変えよう。

さて、空間にはところどころ「もの」が存在している。
その「もの」と「もの」の「間」すなわち関係を、上や下、右や左、前や後、さらには東西南北などの語であらわしている。
つまり「間」に空間関係をあらわすことばが存在しているのだ。

では、空間、時間、人間の内部の「間」にとどまらず、相互の関係はどうか?
たとえば、空間と人間の「間」はどのようにことばで満たされているだろうか?

わたしたちのまわりには空間が広がっている。
その空間には、非空間である「もの」が存在している。
そして「もの」を通じて空間を認識している。

「机」があり、「本」があり、「パソコン」がある。
そしてそれらを存在せしめている空間を認識する。
このプロセスはすべてことばを通じて行われる。

この事態を称して、空間と人間の「間」をことばが満たしている、と表現してもおかしくない。

さらに、時間と人間の「間」はどうだろう?
たとえば「人生」ということばがこの「間」を満たしているのではないだろうか?

人は否応なく時間という目に見えない難物とかかわらなくてはならない。
時間に対してわたしたちは主体的に働きかけることができない。
とかく人生はままならぬものである。

やや苦みを帯びた「人生」ということばが時間と人間の「間」を満たしている。

最後に、時間と空間の「間」だが…。
ここまでくると、さすがにこじつけるのが難しい。

あえて言えば、量子力学や相対性理論など現代物理学のことばが時間と空間の「間」を満たしている。
ということになるのだろうか?

でもこれは「満たしている」というより単に「説明している」だけかもしれない。
正直言ってよくわからない。

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