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2016年5月22日 (日)

時間と空間(その13)

前々回は、時間にあてがう目盛りのお話をした。

わたしたちは天体の運行や暑さ寒さの循環を体感しているから、時間の目盛りはこの感覚に基づいて出来上がっている。
つまり、基礎的な単位として「日」、「月」、「年」がある。

四季の循環は「年」で完結するので、これを超える別の単位は存在しない。
1年、100年、1万年、1億年と「年」を数学的に積み上げるだけである。

したがってうんと遠い未来に言及する場合、たとえば「56億7千万年ののちに…」なんて言い方をする。
この方法なら無限の未来だって表現できる。

逆に「日」を細分する目盛りはどうか。
「日」を24等分した長さ(空間のことばで時間を表現していますね)が、「1時間」という単位。
そして1時間を60等分した長さが「1分」。
「1分」をさらに60等分した長さが「1秒」。

そう、「日」以下の目盛りは人間の感覚を離れた数学的処理によって出来上がっている。

時代とともに人々の生活があわただしくなり、「日」を細分化する必要が生じたのだ。
いまや1分1秒をあらそうせわしないビジネス社会にわたしたちは生きている。
株取引の世界ではコンマ何秒の単位で処理が行われているそうだ。

しかしさすがに生身の人間としては、「秒」以下の時間を細分化する実用的必要性がない。
だから目盛りの単位は「秒」でおしまいだ。

「秒」以下の短い時間を表現するには何分の1秒という。
「年」と同じく、これで無限に短い時間を表現できる。

数学と言語のおかげでわたしたちは無限に思いを及ぼすことができるようになった。

だから、宇宙はビッグバンで始まったなんて話を聞くと、つい「じゃあ、ビッグバン以前はどうなっていたの?」と突っ込みたくなる。

宇宙には大きさがあるなんてことを聞くと、「じゃあ、宇宙の外はどうなっているの」と食い下がりたくなる。
そうして本屋さんで初心者向けの宇宙物理学の解説書を買ってくるのだが、結局わかったようでわからない。

しょせん、わたしたち人間は空間的にも時間的にも有限の存在だ。
言語もその有限の存在にとってのみ意味を持つのかもしれない。

だからことばを使って「ビッグバンの前」や「宇宙の外」という表現は形式的には成り立つ。
しかし、そこから先はどれだけことばを費やしても思考は機能しない。

やはり言語にも限界があった。
無限(かもしれない)時間と空間の前で言語は立ちすくんでいる。

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