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2016年5月28日 (土)

時間と空間(その14)

前回は、無限かもしれない時間と空間の前でことばが立ちすくんでしまった。
もうお手上げです、と言語がギブアップしてしまった以上、時間と空間についてはこれ以上語れない。

そもそも、私のような凡人が時間と空間の極限に迫ってみようなどというのはおこがましい限りなのだ。
あとは神さまにおまかせしたい。

それよりももっと身近な言語現象に目を向けてみよう。

日本語に「場=ば」という語がある。

夏及び冬という季節と結びついて、「夏場」、「冬場」という複合語を形成する。

「夏場は食べ物が腐りやすいので気をつけてください」
「この地方はスキーなどで冬場は活気づきます」

などという。

この場合の「場」は、漠然と夏、冬という季節の期間全体を指していると思う。

しかし上記の例文では、「場」を取り除いてもほぼ同じ意味で問題なく通用する。
たとえば上記の例文を英訳するなら、たぶん「場」は無視されるだろう。

ではなぜわざわざ「場」を付加するのか?

あからさまな限定や断定を避けたいという日本語話者特有の心理にマッチしているからだろうか?
限定や断定を回避することで、発話責任を少しでも軽減したいと無意識に考えているからだろうか?

面白いことに、「場=ば」は同じ季節でも春や秋には結びつかない。
「春場」や「秋場」という語はない。

なぜだろう?
夏や冬は気温のピークや底がはっきりしていて、その周辺に「場」を設定しやすいからだろうか?
春や秋は気温の移行期で、「場」の設定にはなじまないからだろうか?

しかし逆に「たけなわ」という和語は春や秋に結びつき、夏や冬には結びつかない。
辞書によれば「たけなわ」は「物事の一番の盛り。真っ最中」を意味しているのだから、これも一種のピークである。

春や秋は移行期だから、というのではうまく説明できない。

春夏秋冬というのは、一見1年を平等に4分割しているように見えるけれども、言語表現の面ではそう単純ではない。

たとえば「口」という単純な語をとってみても、秋には結びつくけれどもその他の季節には結びつかない。
なぜなのだろう、と考えてみる値打ちはありそうだ。

これらにとどまらず、春夏秋冬と他の語の結びつき具合については不思議な現象が少なくない。
そのいくつかはこれまでにもお話ししてきた。

このようなささやかな不思議にきちんと向き合い、なぜだろうと理由を模索することが誠実な態度というものだ。
時間、空間の極限とは、といきなり大上段にふりかぶるだけが能じゃない。

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