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2016年3月20日 (日)

時間と空間(その4)

前回は、「言語は時間に対して、どのようにかかわることができるのか?」という難問にぶつかってしまった。
私のような凡人がこのような難問に真正面から取り組んでも得るところは少ない。

そこでこの際あまり力むことなく、言語と時間の周辺を気ままに散策してみたい。

ある人は時間を旅人にたとえた。
わたしたちと同じように、この世界を行ったり来たりするというのだ。

なるほど「去年」と言ったり「来月」と言ったりしますね。
英語では「next」や「last」という順序をあらわす語を用いる。
してみると「去年」や「来週」などの擬人的表現は、漢字圏特有のものなのだろうか?

ところでこの旅人は、人間と違ってつねに前にしか進まない。
旅の途中で何か気になることがあっても、後戻りして確かめるということができない。

いつも同じ歩調で前にしか進まない。
前にしか進めない。
そう思えば、旅の自由を味わうことのできない気の毒な旅人かもしれない。

さて、「前に進む」という表現における「前」とは、旅人にとってはこれから行くところ、つまり未知の領域である。
しかし時間に転用された場合の「前」は、「前日」、「前年」のようにすでに経験済みの領域のことである。

「前」という語のあらわす意味が時間と空間とでは正反対になるのだ。
不思議な現象ではないだろうか?

「前」とよく似た意味を持つ語に「先」というのがある。

「1キロ先に山小屋があるはずだ」というように、この語も空間に適用された場合はこれから行く場所を指す。
しかし時間に転用された場合の「先」は、「先日」、「先月」のようにすでに経験済みの領域のことである。

この場合も同じように、語のあらわす意味が時間と空間とでは正反対になるのだ。

それだけではない。
さらに不思議な現象がある。

次の例文を比べてほしい。

「それは10年も前の話だ」
「それは10年も先の話だ」

この場合、「前」は発話者にとって過去をあらわし「先」は未来をあらわしている。

つまり、「先」は時間に対して適用された場合、過去もあらわし未来も意味する。
時間の世界に入った時、「先」の意味はきわめて不安定になるのだ。

「前」や「先」、前後左右上下、たてよこななめなど、ことばは空間をてきぱきと秩序づけていったけれど、時間に対してはそうはいかない。
もともと空間を処理するために生まれた語を、時間に流用するとどうしても無理が生じる。

かといって人間の感覚は限定されているから、目にも見えず手で触れることもできない時間を処理するための専用の語を開発することはきわめて難しい。

時間という存在に対するとき、言語の限界を感じざるを得ない。

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コメント

今日は。「時間」のことを考え出すと誰もが七転八倒しますよね。私ら素人どころか、哲学のプロたちも昔からこの正体の解明に苦悩してましたから、私らが分からなくても恐縮する必要はないようです。と言いますか、この問題に関してはプロと素人の‟格差”がないように感じられ、同じ土俵で勝負できる面白さがあると思います。プロの哲学者が聞いたら怒るかも知れませんが、これは疑いようのない事実だと思います。
近代哲学の巨人カント(小柄な人だったようですが)が言ったのは、「時間とはそれ自体が存在するような何かあるものではなく、空間とともに人間にとってア・プリオリに(先天的に)備わっている直観の形式であって、それによってすべての現象が成り立つ条件である」ということでした。「形式」、「条件」という抽象的な観念だというのですから、何とも把握しようのない代物が「時間」というもののようです。‥‥まさに言葉で説明できる限界だと言っているようです。
私にとっては、逆に感覚に訴えて、時間は‟あるかのように感じるもの”、もっと縮めれば‟かのような”ものだという気がします。‥‥どうでしょうか、プロと素人で互角じゃないでしょうか?

投稿: 平戸皆空 | 2016年3月21日 (月) 11時10分

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