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2016年2月27日 (土)

時間と空間

この「わたし」を存在せしめている時間と空間。
その時間と空間に対して、ことばはどのように取り組んできたか?

この疑問について、これまでえんえんと愚考を重ねてきた。
もちろん浅学非才の私にその答えなど出せようはずもない。

檻の中の熊のように、同じところをぐるぐる回っているだけかもしれない。
それでも懲りずに考え続けようという自分がいとしい。

さて、時間はわたしたちの五感ではとらえられない。
そもそも「ある」のかどうかも確かめようがない。
だから時間についての言語表現は、空間について用いられる語を転用しての間接的表現になるほかない。

それに比べると、空間は五感でとらえることができるので時間に比べて組みしやすい…。

と言えるかどうか。

そもそも空間とは何か?
わたしたちが目で見たり手で触ったりするものは、事物であって空間そのものではない。

では空間とは何か?

事物で満たされることを待っている「空」なのか?
事物の存在の背景としての「無」なのか?

さきごろアメリカで重力波の存在が観測された。
重力波というのは、質量の大きな物体の影響で生じた「空間のゆがみ」が伝播する現象とのことだ。

「ゆがみ」というのは物性について適用される概念である。
してみると、空間は「空」でも「無」でもなく「もの」なのだろうか?

空間の物理的性質については専門家に任せるとして、要するに空間も決して簡単に片づけられるしろものではないことが分かった。
組みしやすいだなんて安易に考えてはいけないのだ。

わたしたちは空間に存在する事物について語ることはできる。
空間で生起する出来事についても語ることができる。
しかし空間そのものについては何も語ることができない。

このブログで私は縦横について、上下左右前後について、東西南北についてつたない考えを語ってきた。
振り返ってみれば、空間そのものではなく空間の秩序について考えてきたのだった。

そう、むき出しの空間ではなく空間に秩序を与えることではじめてわたしたちは生きることができる。
その秩序を構築するためにこそ、言語は存在するのだ。

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