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2016年1月16日 (土)

上と下(その4)

前回は、「おりる」と「くだる」の違いについて安易な印象判断をしてしまった。
その点については反省しているけれども、懲りずに考察を続けてみたい。

「おちる」、「おりる」、「くだる」だけでなく、下方向の動きをあらわす自動詞として「さがる」というのもある。

「おりる」、「くだる」の主体は人だけれども、「さがる」の主体は人ではない。
という違いを言いたいところだけれども、「里にさがらせていただきます」という言い方ができるからこれはだめ。

「おりる」、「くだる」は行為そのものに着目しているけれども、「さがる」は継時的な変化に着目している。
という違いを言いたいところだけれども、「席にさがってよい」という言い方ができるからこれもだめ。

うーむ、すっきりした説明ができなくてストレスたまるなあ。

本当のところ、「成績が落ちた」と「成績が下がった」はどこが違うのだろう?
わたしたちは日常の言語活動でほとんど無意識のうちにこのようなことばを口にしている。
意識下ではどのような使い分けのメカニズムが働いているのだろう?

ともあれ、下方向への動きをあらわす動詞は豊富だなあという印象がある。
重力に抗して生きていかなければならないわたしたちの宿命かもしれない。
この点は、日本語だけでなく他の言語でも同様だろうか?

さて、下方向への動きをあらわす一群の動詞に対して、上方向への動きを示す動詞はどうか?

「成績が落ちる」や「成績が下がる」に対しては、「成績が上がる」、「成績が伸びる」という。

「山を降りる」や「山を下る」に対しては、「山にのぼる」という。
「のぼりおり」や「のぼりくだり」という言い方もあるから、「おりる」、「くだる」の対概念は「のぼる」ということになる。

また、「箸の上げ下げにも口を出し…」という言い方があるから、「さがる」の対概念は「あがる」ということになる。

では、「のぼる」と「あがる」はどう違うのか?

前回、「おりる」はその行為の到達点に焦点を当てている、という広辞苑の記述を紹介した。
だとすれば、その対概念である「のぼる」も到達点に焦点を当てている、ということになる。

一方「さがる」はどうか?
はじめに、「席にさがってよい」という言い方ができるから継時的変化に着目しているわけではない、と言ったけれどもやはりその一面はあると思う。

だとすれば、その対概念である「あがる」も継時的変化に焦点を当てている、と言えるのではないか。

つまり、「宮中にあがる」と「宮中にのぼる」はほぼ同じ意味である。
けれども、「宮中にあがる」はその経過に関心があり、「宮中にのぼる」はその結果に関心が向かっているのだ。

「社長の座にのぼる」という表現は、到達点である「社長の座」に焦点が当たっている。
だから、「社長の座にあがる」とは言えないのだ。

同様に「社内の地位があがる」という表現は、継時的な地位の変化に焦点が当たっている。
だから、「社内の地位がのぼる」とは言えないのだ。

関心は経過に向かっているのか結果に向かっているのか。
今回はわりにすっきりと整理できた。
おかげでストレスもいくぶん解消できたような気がする。

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