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2015年11月14日 (土)

時のあとさき

視覚をはじめ五感でとらえることの出来ない時間は、言語にとって難物である。
だから多少の言語的混乱は大目に見てやらねばなるまい。

たとえば、少し前に「前」と「先」を例に取り上げた。

「前日」は日を特定できるけれども「先日」は特定できない、というお話をした。
「前年」と「先年」も同じ関係になる。

では、「先」は時間に対して特定する機能ははないのか、と言えばそうではない。
同じ時間周期でも「先週」や「先月」はちゃんと特定できるのだ。

このへんが混乱している、というか一筋縄ではいかないところだ。

「前」の対概念に「後」がある。
これを「日」につけるとどうなるか?

「後日」は「前日」の反対ではなく、「先日」の反対語になる。
したがってこの場合の「後」は「前」の対概念ではなく、「先」の対概念であることが分かる。

「前日」の反対語は「後日」ではなく、「翌日」である。
「翌」は「週」、「月」、「年」にも付き、同じ機能を果たしている。

これに対して「後」はなぜか「週」や「月」には付くことができない。
基準時に対して何週間か後、何ヶ月か後のことを「後週」とか「後月」と表現することはできないのだ。

このへんも混乱している。

さて、「前日」は基準時から1日前のことだけれど、発話時点から1日前のことは「昨日」という。
同様に「昨年」という表現もある。
一方で、「昨週」や「昨月」とは言えず「先週」や「先月」を使わなければならない

このへんも混乱している。

「昨年」の反対語は「来年」である。
この場合、「来」は「昨」と違って「週」や「月」に対してもつくことができ、同じ機能を果たす。
そのかわり、「来日」とは言えない。「明日」と言わなければならない。
また、この「明」は年には付くけれども週や月には付くことができない。

このへんも混乱している。

発話時点そのものを指すときは「今」という語を用いる。
「今日」、「今週」、「今月」、「今年」という。

ただし、「今日」は「きょう」、「今年」は「ことし」となぜか和語で発音する。
「こんにち」と字音読みすれば、別の意味になってしまう。

「きょう」はあらたまった席では「本日」という。
同じく「本年」ともいう。
一方で、「明」と同様に週や月には付くことができない。

こうして混乱はとどまるところを知らない。

だからと言って、私はそのことをとがめようとは思わない。
言語だって時間に対しては悪戦苦闘しているのだ。

あたたかく見守ってやりたい。

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コメント

「時間」の場合、これから進んでいく方向(未来)が「後」で、通り過ぎてきた方向(過去)が「前」。
「空間」の場合、「前」と「後」が逆になりますよね。
ずっと不思議に思っています。

投稿: | 2015年11月19日 (木) 15時44分

今日は。
昔から、時間はその説明そのものが「哲学」でしたね。
近代哲学の祖カントは、時間とはそれ自体在るものでなく
在るものを在らしめている在りかたと、それを時間と言え
ばいいもの、人間の知覚が成り立つ「形式」とも「条件」
とも言えるもの、としています。
つまり、時間はその存在を問えるものではなく、存在以前
のもの、存在概念の必要条件だと‥‥
しかし、それに気付くこと自体は「生体反応」と言うしか
なさそうですね。つまり生きていなきゃ知りようがないこ
とでしょうね。

投稿: 平戸皆空 | 2015年11月15日 (日) 12時19分

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