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2015年10月 9日 (金)

前と後

右と左を宇宙人にも分かりやすく定義するにはどうすればよいか?

前回はこの難問に世界中の辞書執筆者が頭を抱えた。

これに比べると、前と後はわかりやすい。
人間の目で見える方向が前であり、そうでない方向が後である。
すっきりした定義でまぎれようがない。

視界が得られるかどうか。
という人間の視覚が前後を分ける基準になっているので、感覚的にもすぐに理解できるのだ。

しかしそれで安心してもらっては困る。

縦横や左右と違って、前後は時間関係にも適用されるのだ。
空間における前後からの転用と思われるけれど、これが一筋縄ではいかない。

人間の経験、という視点に立てば空間における「前」はこれから「わたし」が赴こうとしているところだ。
いわば未経験、未知の領域である。

「前途に何が待ち受けているかわからない。しかし僕は前に進むのだ!」

これに対して時間における「前」は、過去のこと、経験済みのことをあらわしている。

「それは三日前の出来事だった」
「君が来る前にパーティーは終わったよ」

空間に対しても時間に対しても、わたしたちは前後ということばをよく使う。
しかしよく考えてみると、上でお話ししたように何だか変だ。

空間の前後が時間の前後に変換されるとき。
ひょっとしてわたしたちはここでも巧妙な「すりかえ」を無意識のうちに行っているのかもしれない。

ただ、「見えている」かどうか、という視点に立てば納得できるという考え方もある。

空間において、前は「見えている」。
時間においても、過去は「見えている」。

だから時間関係をあらわすとき、過去を「前」というのは少しもおかしくない。

なるほど。
かくのごとく、ことばをめぐって自問自答は尽きることがない。

左右と同じく、前後も人が存在し行動するかぎりどこまでもついてまわる。
だから左右と同じく、人事の領域にも幅広く進出している。

特に「前」は語尾にくっつくことが多い。

たとえば当たり前、三人前、男前など、いくらでも思いつく。

こうした例における「前」は、原義とどのような関係にあるのだろう?
辞書はこんな疑問には答えてくれない。

「前」という語が「男前」にたどり着くまでには、きっと波乱万丈の物語があったことだろう。

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コメント

今日は。やはり私は人間の身体構造にこだわりたいと思い
ます。私たちが空間感覚(立体感)を持てるのは、左右一対
の目を持つからで、その両目で対象物を見た時の距離感が、
両目をつなぐ線を底辺とし対象物を頂点とする三角形の形
(あるいは頂角、あるいは左右の目と対象物を結ぶ線の交
差角)を感じる視神経と手足の運動神経とが、経験を重ねて
何らかの連携作用を形成して得られるものだと思います(そ
の連携作用の生理学的解明は未だされいません)。
その距離感に基いて遠い方を「まえ」、近い方を「あと」
と呼んだのでしょう。
時間感覚はこの空間感覚の援用で、「いま」から遠い方を
「まえ」、近い方を「あと」と呼んだのではないでしょうか。
もちろんこの「援用」は無意識的なもので、このカラクリも
現在のところ不明で、知性の知性たる所以と言う以外
ないのでしょう。つでに言えば、時間を空間に喩える
知恵は、洋の東西を問わずかなり昔から人間に備わっ
た能力のようです。

投稿: 平戸皆空 | 2015年10月10日 (土) 11時45分

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