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2015年10月 2日 (金)

右と左

多くの人と同じように私は右利きだから、横線を描く時は左から右に向かって引く。
逆に左利きの人は、右から左に向かって線を引くのが普通なのだろうか?

いずれにせよ、横の線は右と左に向かって延びている。

では、この右と左をどのように定義すればいいだろう?
球形の体型をして、左右の概念を持たない宇宙人にも分かるように説明するにはどうすればいいだろう?
もしあなたが辞書の執筆者なら、どう書く?

右の反対側を左という。
左の反対側を右という。
これでは無間地獄である。

本来右と左は、相対的、相補的な関係だから、自立した定義がすこぶるむずかしい。

南に向いたとき、西にあたる方。

広辞苑では、右をこのように説明している。
方位を媒介にして間接的に定義しているのだ。

アナログ時計の文字盤に向かった時、1時から5時までの表示のある側。
新明解ではなんと時計を持ち出して定義している。

そのほか、心臓を持ち出して定義している辞書もある。
みんな苦労して間接的に定義しているのだ。
時計もなく解剖学的知識もなかった時代にはどうしていたのだろう?

人が存在し行動するところ、必ず右と左はついて回る。
だから、あらゆる言語で右と左は定義されなければならない。
みなどうしているのだろう?

ある英語の辞典では、やはり心臓を持ち出して定義している。
世界どこであれ左右は間接的にしか定義できない。
言語の限界を感じる。

人が存在し行動するところ右と左は必ずついて回るから、左右の語は単なる側面識別の機能にとどまらず広く人事全般に転用されている。
たとえば、右に出る者はいない、左うちわなど。

では、右と左とではどちらがえらいのだろう?

日本では左大臣のほうが右大臣よりも上位だから、左のほうがえらいということになる。
しかし、古代中国では逆に右が上位とされていたようだ。

時代、地域によって左右の優劣関係は変化する。
タテとヨコのように、横にだけ一方的に芳しくないイメージが集中するような現象は見られない。

わたしたちだって右手と左手が仲良く協力してくれないと行動に支障をきたす。
右左に格差を持ち込んではならないのだ。

ともあれ、諸言語の辞書で左右をどのように定義しているのか調査比較してみればおもしろいかもしれない。
もっとも、よほどのひま人でないかぎりそんなテーマに手を染める人はいないと思うけれど…。

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