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2015年8月 7日 (金)

夜と晩(その3)

前回のお話は夜も更けてきたので、中途半端なところでおしまいになった。
さいわいまたさわやかな朝がやってきたので、気分を一新してお話を続けよう。

前回は、昼から夜への移行期に「ゆうべ」や「たそがれ」や「よい」や「ばん」が続々登場してきて話がややこしくなった。

夜から昼への移行期、つまり「夕方」に対応する「明け方」や「早朝」はそれほどややこしくない。
しだいにあたりの光度が増し、地平線からお日さまが昇ってくる。
これからまた新しい一日が始まる、さあ、がんばろう!という前向きな気持ちになることができる。

それに対して、「ゆうべ」の周辺は曲者である。
お日さまが次第に衰え、あたりが薄暗くなってくる。
人々の心になぜとない不安が忍びよってくる。

ヒトラーはよくこの時間帯に大衆に向けて演説したのだそうだ。
昼と夜の境界をさまようよるべない心にヒトラーのことばが力強く響いたのかもしれない。

そうそう、夜と晩はどう違うのか、というお話だった。
時間的な関係としては前回わりにすっきりと整理することができた。

お日さまが隠れている「夜」という期間のうち、人々がまだ起きて活動している期間を「晩」というのだった。
「夜」が「晩」を包含するという関係だった。

それから、「夜」がお日さまが隠れている期間を指す固有の語だったのに対して、「晩」は一定期間の終りのほうを意味する語であって、それが一日(のうち、人間の活動時間)という期間に対しても適用されたにすぎない。

つまり「晩」のほうが意味としては汎用性が高い。

それと関係があるのかどうかわからないけれども、「夜=よる」が和語であるのに対して「晩」は字音語である。
「朝昼晩」と並べると「晩」だけが字音語でバランスが悪い。
高い汎用性ゆえにそのまま取り込まれた結果だろうか。

秋と同じように、夜も「深まる」ことができる。
真夜中のことを「深夜」という。

「晩」は深まることができない。
深まる前に人々は眠りについてしまう。

深夜に人々は夢を見る。
日ごろのさまざまな束縛やしがらみから解放された豊かなイマジネーションの世界が広がる。

それと関係があるのかどうかわからないが、文学では「晩」よりも「夜」のほうがしっくりくる。
「銀河鉄道の夜」と聞けば物語の予感がわくけれども、「銀河鉄道の晩」ではなんとなくイメージが貧弱な感じがする。

「夜」は曲者だけれど、魅力的なのだ。

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